100年時代の学び方「リカレント教育」とは?理念と日本の可能性 - cocoiro(ココイロ) - Page 5

リカレント教育と日本が抱える課題

それらリカレント教育の本質に照らし、日本の社会や制度が抱える課題を検討してみます。

課題①:日本的雇用慣行が職業生活からの一時離脱を許さない

ひとつめは、日本の雇用慣行が「リカレント=循環」を難しくするシステムであるという点です。日本型雇用制度の主な特徴は、終身雇用制度と年功賃金制度。資産を所有する「法人=ヒト」としての性質が強く、企業の存続と繁栄を重視する日本企業では、社員のメンバーシップ性と外部流出の少ない内部労働市場性が高まります。

中途採用が貧弱で、会社からの強い拘束と保障がセットである日本の労働市場では、一度拘束を外れることは保障からも外れるということを意味します。拘束の強さゆえに結婚や出産で職場離脱せざるを得なかった女性が、キャリアの追求や高い賃金から外されてきたのはそのためです。

社会学者の山口一男氏は、こういった雇用慣行は日本の文化的伝統を前提に置くと、戦後高度成長期には戦略的合理性を持っていただろうと見ています。戦略的合理性とは、前提A1を動かさないならB1を選ぶことが最も合理的である、というようなことです。しかし前提A1にこだわらなければ、A2とB2の組み合わせが最適、といったことも起こります。日本的雇用は社会や経済状況の変化によっていまや機能を失っていますが、戦略的合理性を持つがゆえに部分的な変換が難しく、状況を打開できないでいる、というのが山口氏の分析です。

山口氏は、既存の制度セットの均衡を打ち破るには、前提からの積極的な設計し直しが必要と述べます。リカレント教育の導入においても、「教育→仕事→引退」の一方向コースを温存し、仕事からの一時離脱がキャリアの不利になる状況を残したままでは、せっかくの教育制度もその真価を発揮せずに終わるのではないでしょうか。

参考

山口一男(2017年)『働き方の男女不平等-理論と実証分析』日本経済新聞出版社

課題②:リカレント教育のインセンティブが少ない

『リカレント教育による高度職業人養成-大学院修士課程における社会人教育のその後-』は、大学院修士課程を修了した社会人院生の労働移動や年収の変化などについて分析し、個人のライフサイクルの中で労働と教育がどのように関係しているのかを明らかにした論文です。この論文から、社会人が高度な再教育を受けても、必ずしもキャリアや年収のアップに結び付かない現状が明らかになりました。指摘される問題点は、次のようなものです。

①修了後のジョブマッチングの問題

修了後の転職で教育の成果が「高度専門職」に結びつかず、キャリアや年収が下方移動する危険性が少なくない。教育機関と労働市場をつなぐ制度が欠如している。

②地域間格差と労働力移動の難しさ

大学院修士課程や修了後の高度職業人としての就業機会が、大都市圏に偏っている。教育や就労のための地理間移動の難しさがキャリアアップの壁になる。

③教育の費用負担の問題

現在多くの社会人院生が、教育費用を全額自己負担している。しかし教育の成果がその後のキャリア形成に必ずしも結びつかない状況を考えると、それを単純に自己投資と呼ぶわけにはいかない。むしろ社会が享受する利益を考えて、社会による費用負担を議論する必要がある。

④アカデミックな研究者養成と高度職業人養成の切り分け

社会人院生の修了後の動向が必ずしも教育の成果を反映していないのは、研究者養成と職業人養成のカリキュラムが明確に区別されて確立していないことの反映と言える。教育政策的課題と労働政策的課題の接合が求められる。

日本企業は従来、新規一括採用と内部教育で自社向けの人材を育成してきました。近年になって、労働者に即戦力と教育への自己投資を求める傾向が強くなってきましたが、労働市場における専門性の評価や適正な報酬の設定、社会が受ける教育の利益の考慮などが不十分なままでは、自己投資も自分に返ってきません。わたしたち個人にとってリカレント教育は「コストは高いがリターンは少ない」というものにとどまってしまうでしょう。

参考

平尾智隆(2003年)『リカレント教育による高度職業人養成-大学院修士課程における社会人教育のその後-』立命館経済学 Vol.52, No.2

課題③:能力は高いが新しいことを学ぶのが好きではない

OECDが2011年から2012年にかけて実施した「国際成人力調査 PIAAC」について、日本の課題をまとめた論文が『OECD「国際成人力調査」の概要と日本の成人力』です。PIAACの結果では、日本の成人は非常に高い水準にあることが分かりましたが、次の2点において気になる課題を抱えていることも事実です。

①ITを活用した問題解決能力

コンピュータに習熟している層とそうではない層の両方が存在し、格差が大きい。またいずれの年齢層においても、ICTを使用する頻度が参加国中で最も低い。

②学習意欲に関する傾向

「難しい問題を解決するのが好きだ」「異なる意見をどのようにまとめるかを考えるのが好きだ」「新しいことを学ぶのが好きだ」という質問について、否定的な回答をする人の割合が際立つ。技能の習熟度が高いのに学習意欲が低いという矛盾がある。

これからの時代に求められるのは、知識そのものではなく、課題を見つけて考える力や知識や情報を活用して課題を解決する力です。ITスキルも学習意欲も、自力で解決する力に直結します。リカレント教育が、社会や企業からの要請という外的動機によるもので、役立つ知識や技能の習得に終始してしまうのなら、結局は新しい時代に必要な力を獲得できずに終わってしまうのではないでしょうか。

参考

坂口緑(2015年)『OECD「国際成人力調査」の概要と日本の成人力』日本生涯教育学会年報 No.36

まとめ:わたしたちがリカレント教育を人生に生かすために

現在の日本におけるリカレント教育への関心の高まりを見ていると、「このままでは需要のない人材になってしまう」「企業ニーズに応える努力をしなければ職を失う」「生涯勉強した人が勝ち」といった、一種の危機感に煽られている印象があります。一度、リカレント教育の理念に立ち戻ってみませんか。

生涯教育の考え方は、教育を受ける権利・教育機会の平等という人権保障の考え方から出発しています。そして高度な教育を可能にする制度や政策の構築は、国の責任です。100年働き続けるためだけに勉強するのは辛くないでしょうか。教育はやらされるものではなく、わたしたちの権利。送りたい人生、やりたい仕事、学びたい勉強。それを手に入れることが、私たちの人生を豊かにするリカレント教育なのではないでしょうか。

参考
文部科学省(1995年)『平成7年度 我が国の文教施策』第2部 文教施策の動向と展開  第2章 生涯学習社会の構築を目指して
内閣府(2018年8月)平成30年度 年次経済財政報告(経済財政政策担当大臣報告)『「白書」:今、Society 5.0の経済へ』第2章 人生100年時代の人材と働き方
戸澤幾子(2008年)『社会人の学び直しの動向-社会人大学院を中心にして-』国立国会図書館レファレンス 平成20年12月号
塚原修一ら(2017年)『社会人の学び直しからみた大学教育』日本労働研究雑誌No.687
井上敏博『「生涯学習論」の理念と政策の歴史的発展-ユネスコとOECDの果たしてきた役割を中心に』城西国際大学紀要Vol.25, No.1 経営情報学部
リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット、池村千秋訳(2016年)『ライフシフト-100年時代の人生戦略』東洋経済新報社
山口一男(2017年)『働き方の男女不平等-理論と実証分析』日本経済新聞出版社
平尾智隆(2003年)『リカレント教育による高度職業人養成-大学院修士課程における社会人教育のその後-』立命館経済学 Vol.52, No.2
坂口緑(2015年)『OECD「国際成人力調査」の概要と日本の成人力』日本生涯教育学会年報 No.36
専門職大学院|文部科学省
職業実践力育成プログラム(BP)認定制度について|文部科学省
専門職大学・専門職短期大学|文部科学省
教育訓練給付制度|厚生労働省

この記事をかいた人

菊池とおこ

北海道大学文学部行動科学科卒。行政系広告代理店、医薬系広告代理店、地方自治体の結婚支援事業担当などを経て独立、ライターに。女性のライフイベントと生き方、働き方、ジェンダー教育などが主な関心分野。大学院進学を視野に入れて地元大学のゼミ(ジェンダー・スタディ)に参加中。趣味は音楽、中学より本格的に合唱を始め、現在も合唱団に所属。ネコのおかあさん。子供と接する時は、自由人の叔父ポジション。