紅葉狩りの歴史
平家物語に由来
平安時代の貴族は花を愛でるという文化を持っていました。しかし、当時紅葉はスポットライトを浴びてはいませんでした。人気だったのは桜や藤といった植物。これらの花は庭など邸宅内で見ることができましたが、紅葉を楽しむためには山まで移動しなければなりません。その手間が避けられていたようです。
また貴族たちは、宮中行事をほとんど春に楽しんでいました。秋はお月見と重陽(ちょうよう)の節句くらいで、あまり行事を行っていなかったのです。また、紅葉の彩る赤色に無常を感じており、あまり良いイメージを持っていなかったようです。さらには、宗教的な影響も大きかったと考えられています。
『平家物語』ですが、白い旗は源氏、赤は平家です。壇ノ浦の合戦の後、波間に平家の赤い旗が漂い紅葉のようだった、という描写があるように、もの悲しさを象徴する色でもあったようです。
(引用元:紅葉狩りの起源|そうだ京都、行こう。)
紅葉を象徴する色が貴族の品格に合わなかったため、紅葉狩りが世間一般に広まることはなかったようです。
江戸時代に楽しまれる
徐々に人々が紅葉狩りを楽しむようになったのは、室町時代以降と考えられています。豊臣秀吉は、醍醐の花見を開催した同年に紅葉狩りを開こうとしましたが、うまくいきませんでした。そこから貴族だけでなく庶民も楽しめるようになったのは、江戸時代に入ってからです。
江戸時代中期ころ、富裕な商人が生まれ町民文化が華やかになるのとともに、紅葉狩りは行楽として爆発的な人気になりました。ちょうどそのころ、伊勢神宮へお参りする伊勢講やおかげ参りが流行り、庶民の間で旅行ブームが起きました。その火付け役となったのが『都名勝図会』などの名所案内本です。紅葉の名所を紹介すると、たちまちそこに人が押し寄せました。同じ版元が出した『友禅雛(ひいな)形』と呼ばれる小袖(着物)のデザイン本も女性の間で引っ張りだことなり、「竜田川の紅葉」や「紅葉の名所」をデザインした最先端の小袖を着て紅葉狩りに出掛けるのがステータスだったのです。
(引用元:紅葉狩りの起源|そうだ京都、行こう。)
『都名勝図会』は、今でいう旅行雑誌の役割を果たしていたのでしょう。人気のスポットには次々と人が訪れ、あふれかえっていたようです。単に紅葉を楽しみに行くだけでなく、着物でおしゃれを楽しみながら、当時話題だったスポットに訪れていたようです。
江戸時代になると紅葉の木の下に幕を張り、お弁当やお酒を持ち込んで花見同様どんちゃん騒ぎをしました。現代とまったく同じです。そこに宗教観はなく、遊興の楽しい気分だけがありました。
(引用元:紅葉狩りの起源|そうだ京都、行こう。)
現代では、桜の花見とは異なり、紅葉の季節にどんちゃん騒ぎをすることはありませんが、当時の紅葉狩りは飲めや歌えの大盛り上がりだったようです。食べ物や飲み物を用意(狩り)して、みんなで贅沢を尽くすという意味での「狩り」だったのかもしれません。