七夕伝説のあらすじやストーリを知ろう
先述したように、現在の日本に伝わる七夕はさまざまな要素によって形作られていますが、その中心には七夕伝説があります。
以下、七夕伝説についてさらに詳しく見ていきましょう。
七夕伝説の誕生は2千年前?
織姫(織女星・ベガ)と彦星(牽牛星・アルタイル)が登場する七夕伝説はどれほど昔からあるのでしょうか。
七夕伝説が登場する最も古い文献は、中国の南朝時代に編纂(さん)された詩文集『文選』の中に収められた「古詩十九首」です。織姫と彦星が1年に1度、7月7日の夜にだけ会うことを許されるという記述はありませんが、すでに、心寄せ合う2人が天の川を隔てて出会えずにいる情景が描かれています。
中国最古の詩集である『詩経』には、すでに織女と牽牛、天の川が登場する詩があります。詩経が成立したのは今から2,500年以上の前のことです。
日本の七夕伝説
前述したように、七夕伝説は遣唐使によって日本に伝えられ、すでに奈良時代には知識層に広く浸透していました。その後、日本各地で形を変えながら伝承されましたが、現在、多くの人に馴染みがあるのは以下のようなストーリーではないでしょうか。
天の川の西岸に織姫という姫君が住んでいました。織姫は機織りの名手で、美しい布を織り上げては父親である天帝を大変喜ばせておりました。そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、二人はめでたく夫婦になりました。
ところが、結婚してからというもの、二人は仕事もせずに仲睦まじくするばかり。これに怒った天帝が、天の川を隔てて二人を離れ離れにしてしまいました。
しかし、悲しみに明け暮れる二人を不憫に思った天帝は、七夕の夜に限って二人が再会することを許しました。こうして二人は、天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、年に一度の逢瀬をするようになったのです。
(引用元:七夕|暮らし歳時記)
彦星が織姫に出会うために天の川を渡る方法は、鵲(かささぎ)の作った橋を渡るといったものや、舟をこいで渡るものなどがあります。
また、羽衣伝説と結びついた話など、七夕伝説のあらすじやストーリーは、日本だけでもさまざまなバリエーションがあります。
日本と違う?各国の七夕伝説
中国で誕生した七夕伝説は周辺地域にも語り継がれており、それぞれに異なる特色が見られます。
たとえば韓国(朝鮮半島)に伝わる七夕伝説のうちの一つには、織女と牽牛の涙が大雨をもたらし、地上で洪水を起こすという話があります。鵲(かささぎ)の助けを得て無事2人が再会を果たすことで雨はやみ、地上は平穏を取り戻すというストーリーです。
この物語からも分かる通り、韓国では七夕の日の雨が大きな意味を持ちます。2人が再会を喜んで流した涙であるとも言われ、七夕の日に雨が降ることは喜ばしいことだとされています。日本では雨が降ると織姫と彦星が会えなくなるという解釈が一般的なので、七夕の日の雨についての解釈は韓国と真逆のようです。ただ、日本においても短冊がよく流れることから七夕雨と称して雨を歓迎する地域などもあります。
続いて、ベトナムの七夕伝説についてもご紹介しましょう。その特徴は、以下のようにまとめることができます。
- 登場する牛が水牛
- 2人を再会させる際に活躍するのは鵲ではなくカラス
- 太鼓とおにぎりが物語上、重要な役割を持つ
- 虹の橋で2人が再会するパターンの話がある
ベトナムで牛と言えば一般的に水牛であること、鵲が生息していないので代わりにカラスが登場すること、熱帯地域で頻繁に見られるスコール後の虹が物語のキーになっていることなど、ベトナムならではの変化が見て取れます。
朝鮮半島やベトナムの七夕伝説についてさらに詳しく知りたい方は、下記の論文を御覧ください。
七夕伝説の比較文化-中国、 日本、 韓国朝鮮、 ベトナムの比較-|ROSEリポジトリいばらき