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メーデーとは何?遭難信号?祝日?意味・歴史・最近の動きについて - cocoiro(ココイロ)


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「メーデーが開催された」などというニュースを読んだり、聞いたりしたことがあるでしょうか。全く知らない言葉ではないものの、なじみ深いわけではないという人もたくさんいるかもしれません。

時事問題を勉強している子供に「メーデーって何?」と聞かれたら、答えられるでしょうか。そんな親向けに、本記事ではメーデーの由来や意味について分かりやすく解説します。

メーデーとは何?

現代のメーデーは「労働者の日」

メーデーには長い歴史があります。古来は春の訪れを祝う日とされていましたが、現代では全く違う意味合いを持つようになりました。その起源から解説していきます。

起源はアメリカのストライキ

メーデー(May Day)とは直訳すると「5月の日」ということになります。日付としては、5月1日をそう呼ぶことが世界中で慣習となっています。現代のメーデーは労働者の日として知られています。ストライキ・デモ・集会など、労働者としての意見を集団で発信する日として定着しています。

メーデーという日と行事が密接な関係を持つため、「メーデー」という言葉が単に5月1日のことを指すこともあれば、5月1日前後に開催される労働系の集会のことを指すこともあります。現代の報道では、後者のことをメーデーと呼ぶことが多いようです。

日本をはじめとした現代の国家の多くでは、1日の労働時間は8時間と法律で定められています。近代に入ってすぐの社会では、このように労働者を保護する法律の整備が進んでいませんでした。労働者の権利を勝ち取るための行動が5月1日に行われたことから、メーデーが労働者の日であると捉えられるようになりました。

メーデーは、1886年5月1日、アメリカの労働組合が八時間労働制を要求してストライキ・デモ行進を行ったことが起源です。当時は12~14時間労働が当たり前でした。このため、アメリカの労働者は「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」という「8時間労働の歌」を歌いながらたたかい、8時間労働制をかちとりました。

しかし、運動の中心地だったシカゴでは5月4日、ヘイマーケット広場に集まったストライキ参加者を武装警官が襲い、多数の死傷者が出たのをきっかけに、資本家側は8時間労働の約束をほごにします。

そこで、労働者側は、ふたたびゼネストでたたかうことを決め、世界に共同行動を呼びかけます。これにこたえて、労働組合・社会主義運動の国際組織だった第2インターナショナルは89年7月の創立大会で、この日を「法律で8時間労働日を決めるよう要求する国際デモンストレーションの日とする」と決定。翌90年に各国で第1回メーデーが実施されます。

(引用元:メーデーとは? 日本での始まりは? | 日本共産党

現代の私たちにとって、1日8時間労働は当たり前のように考えられています。8時間を超過して労働させ、残業代を払わない企業は「ブラック企業」と呼ばれます。しかし、その始まりは19世紀の終わりごろで、そこまで古い歴史ではありません。メーデーがあまり身近でなかったという人も、歴史的に見ると、実はメーデーの恩恵を受けていたといえるでしょう。

日本でのメーデーの歴史

ヨーロッパと比較して近代化が遅れた日本では、1920年5月1日に行われたのが最初のメーデーだとされています。1935年までは毎年開催されていましたが、1936年の2・26事件をきっかけとして、その後は第二次世界大戦後まで禁止されてしまいます。

戦後のメーデーは1946年から再開されました。戦後すぐのメーデーはトラブルが発生することも多かったようです。特に多数の逮捕者を出した1952年のメーデーは、「血のメーデー事件」とも呼ばれています。

対日講和条約が発効して最初のメーデーが行われた 1952年5月1日午後,明治神宮外苑で開かれた東京の中央会場からの中部コースデモ隊は日比谷公園で解散せず,学生,朝鮮人,自由労務者約 6000人は「人民広場へ行こう」と叫んで皇居前の警戒線を突破,5000人の警官隊と衝突した。この衝突で警察官の重傷 68人,軽傷 672人,デモ隊側の負傷者は 200人,死者2人,奪われたピストル3丁,焼失した米軍車両 14台,損壊した車両 101台に達した。この事件には騒擾罪が適用され 1219人が逮捕,うち 261人が起訴された。

(引用元:メーデー事件(メーデーじけん)とは | コトバンク(ブリタニカ国際大百科事典 小項目時点の解説)

荒れることも多かったメーデーですが、関心を持つ人はさらに増えてきます。1960年代前後には高度経済成長に伴い、労働問題が社会的に注目されていた時期が訪れます。1970年代までは全国総計で毎年600万人ほどがメーデーに参加するなど、一般の人の関心も高く盛り上がったようです。

1980年代からは、主催する団体が「連合」「全労連」「全労協」という3つの組織になり、別々にメーデーが行われるようになりました。この組織の名前はニュース等や、会社の労働組合活動に関連して耳にしたことのある人もいるのではないでしょうか。

参考
メーデーの歴史/8時間労働制が原点/暮らしと平和の要求掲げて | 日本共産党
全労協とは | 全労協