高校入試の内申点をアップするには?子供と一緒に描く未来地図 - cocoiro(ココイロ) - Page 3

内申点の取り扱いはこんなふうに変化してきた

【昭和20年代~30年代】志望者全入から完全選抜制へ

高校入試制度の中で内申点の取り扱いがどのように変化してきたのか、推移を追ってみましょう。

戦後、1948年に新制高校が発足した当初は、志望者全員入学を理想とし、定員が超過した場合のみ中学校からの報告書に基づく選抜を行っていました。

しかし時代が下り高校進学希望者が増加するにつれ、学力検査の実施が進行。第1次ベビーブームに伴う高校入試人口の急増を背景に、1963年、学校教育法施行規則が改正。高校入学者の選抜が完全実施されることになりました。

【昭和40年代~平成】脱・偏差値と選抜の多様化

高校入試が完全実施されるようになってすぐ、1966年には、入試における調査書重視の方向性が打ち出されます。進学率が90%以上となる昭和50年代以降、加熱する受験競争を背景に、文部省(現文部科学省)は学力テスト偏重を脱し多様な選抜方法を採る方向に舵を切りました。

1976年には偏差値依存の進路指導の是正、1977年には過度の学習塾通いの是正を求める局長通達が相次いで出され、1984年には学校教育法施行規則が改正され、各校の特色に応じた選抜方法の多様化、選抜尺度の多元化が打ち出されます。

【1998年】ゆとり教育と絶対評価への転換

1998年、個性や生きる力を重視するいわゆる「ゆとり教育」がスタート。時を同じくし、成績の評価方法がこれまでの相対評価から絶対評価へとチェンジしました。それを反映する内申点も必然的に、生徒間の順位を表すものから本人の力を評価するものに変化します。

戦後60年の高校入試制度の歩みは一貫して、学力テスト一辺倒の評価と学力競争を脱して、多様な評価軸を考慮し調査書を重視する方向へと進んでいます。

参考
戦後における高等学校入学者選抜制度等の経緯|文部科学省

高大接続改革とこれからの高等教育のゆくえ

高大接続改革とは

「高大接続改革」とは、2013年の教育再生実行会議「第四次提言」以来進められてきた、高校教育、大学教育、大学入試にまたがる一体的な教育改革です。

グローバル化や技術革新の進展など将来を予見することが難しい現代社会、新しい価値を自ら創造する力を育てることを目指すもので、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」の「学力の3要素」を重視。教育内容とともに入試制度も見直されています。

参考
「高大接続改革」に係る質問と回答(FAQ)|文部科学省