大学デビューをする理由
実は変わってなどいない?
沢山の人が大学進学にあたって変わっていたし、もちろん変わっていない人もいた。「大学デビューしたな」と感じる人に共通していることは、小学校、中学校、高校時代に自分の中での印象が薄い人である。また、高校、大学に進学し、変化したことを高校デビュー、大学デビューと呼んでいるが、そうではない。高校、大学デビューしたと思われている人にとってはそこまで大きな変化はないのである。もともと昔から現在に至るまで考え方などは変わっていないのにも関わらず、周囲の勝手なイメージを築かれ、自分を表現することが難しくなってしまっていただけなのである。
私の地元は小さな田舎町であることもあり幼稚園、小学校、中学校、高校と周りはいつも同じ友達であった。幼稚園、小学生の頃から自分の周りからのイメージが築き上げられる。そのため、本来の自分とは違うイメージを周りにもたれてしまうと、本来の自分を押し殺しながら周りのイメージ通りの自分を演じて生活する人が多いのである。高校デビューしようとしてもほとんどが昔からの知り合いな訳で、デビューすることが難しいのだ。それもあって、私の地元では、大学を機に地元を離れ、デビューを果たす人が多いのだと考えた。
すべては環境のせい?
周りのイメージの中で生活をしなければならなくなる大きな原因は「環境」である。決まった枠組みの中で生活しなければならなくなったときに本来の自分を押し殺してしまうのである。小学校、中学校、高校と確かに選択の自由は与えられているのかもしれないが、選択肢の幅が狭い。小学校であればほとんどが自宅近くの小学校に通うことを前提に学校選びを行うし、中学校、高校も自分が何をやりたいのかは後回しで、立地や偏差値で進路選択を行う。
授業に至っても〇〇高校3年生の英語といえば△△先生の授業だけ、部活動も〇〇中学校のテニス部は1つだけ、英語の勉強はしたいけど、△△先生の授業は嫌だと悩むし、部活動においてもテニス部に入りたいけど、メンバーと合わないなどの悩みは出てくる。自分で選択する権利はあるが、選択肢の少なさからどこか妥協しなければならないのだ。そういった妥協から自分を押し殺し、環境に合わせることを考えて生活することで、間違ったイメージを持たれることに繋がるのではないだろうか。