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4月。先月までの受験戦争が嘘だったかのように、突然仲間になった早稲田の同級生達。
その仲間と授業を受け始めた時、私は気づいてしまう。
「授業がつまらない!」
もくじ
苦労して入った大学の授業がつまらない?
やっとの思いで大学に入った私が最初に思ったのは、「大学って勉強するところじゃなかったらしい」ということでした。
理由①大講義室で先生の趣味トーク
高校までの授業と違って、大学のクラスサイズは様々です。私が履修した中だけでも、最低人数は2人から、100人の大教室まで、様々な授業を受けました。
特に大教室の授業は曲者です。多くの場合、先生自身の研究を趣味トークのように聴き続けます。あちらにとっては興奮するような発見があるようですが、私たちが興味を持つようには話してくれません。先生の一方通行で、周りの人たちが眠りだす時、私は悲しい気持ちになりました。先生が楽しそうにしているだけあって、やはり面白いことを言っている時もあるにはあるのですが…。
理由②「授業は切るもの」という諦め
私が高校にいた時は、授業を「切る」とか、サボるなんていう発想はありませんでした。ただ、大学では日常茶飯事です。私も私の友人も、サークルの活動で授業を切らざるを得ない状況になったりしました。大抵の授業は2・3回の欠席が認められていたり、成績に出席日数が反映されなかったり、切ったとしても単位が取れるのです。いわゆる、「楽単(単位を取るのが楽な授業)」です。特に、私の学部は、文系で必修科目も少なく、自由に選択できる裁量が大きかったので、多くの人が「楽単」を求めていました。
先生たちも、学生が課題にした資料を読んでくるなどという発想はありません。大抵は、期末のレポートくらいしか課されないのです。もし、ここで大量の課題を出して、「ドハマり(単位を取っているのは猛者の学生だけの授業)」と思われてしまいます。なので、その分野の古典のような文献を「一から読んでこい!」とはなかなかならないのです。
そんなこんなで、先生と学生のwin-winの関係で、ゆるい学習環境になってしまいます。
理由③「英語で」授業の難しさ
私が入った早稲田大学国際教養学部は、「英語で」授業をする学部でした。
入学当初は、初歩的な内容の入門科目しか取れないのですが、最初に取った政治学の授業は、留学生もいるので、まさかの日本の首相の暗記から始まりました。そして、テストの論述も「まだ1年生だから内容は気にしない。書いた行数で点数を決める」と言われ、悲しくなりました。
加えて、先生によっては「この先生の日本語の講義が聞きたい」と思うような英語レベルの先生もいたり、ネイティブの先生になると留学生だけ冗談に笑い始めて「なに?なに言ったの?」と落ち込むような場面もあったりで、内容どころではありませんでした。
留学するときには、英語でのテストやレポートにもかなり慣れた状態で行けたのでよかったのですが、「深い学びができているのか?」は常に考えなくてはいけませんでした。