志望動機は不純でいい。「憎しみ」から決めた早稲田大学第一志望 - cocoiro career (ココイロ・キャリア) - Page 2

私が後悔していない理由

「憎しみ」が与えたモチベーション

その一つの理由は、その想いは自分の受験に対するモチベーションとなったからです。もし私が早稲田に落ちれば、私だけじゃなく私を応援してくれている母も一緒に笑われてしまうかも知れません。「絶対に馬鹿にされたくない」という一心で、勉強に取り組みました。勉強に疲れ果て早稲田自身の魅力に疑問を抱いた時でも、落ちて笑われる苦しみを考えるとどんな苦しみよりもましだと思えました。
今思えば、自分の中で早稲田以外の選択肢を本能的に考えていなかったのかも知れません。

そして何より、私が小学六年生の頃から大切に抱いてきた思いは、今の私を幸せにしてくれています。
私はずっと早稲田大学に進学した自分を思い描いてきました。どんなサークルに入ろう、どんな人と遊ぼう、どんな場所に住もう、どんな人と付き合おう。親戚の集まりでどうやって自慢してやろう、母になんて感謝しよう。色々な思いを、早稲田大学入学に馳せてきました。そこまで願った大学に進学することは、まさに夢でした。

大学に入っても変わらない強い気持ち

そして、そんな環境がいざ現実になりました。そこで私は、ずっと抱き続けてきた早稲田への憧れや思いのおかげで、今の自分の環境に感謝し非常に価値を感じていることを知りました。
そこで出会う人、出来事、機会、全てが素晴らしくて、1つ1つの機会が私には新鮮で貴重で、全力で取り組むことができています。嫌で嫌でしょうがない授業の期末試験も、早稲田に合格せずに受けることができない可能性があったと考えると、今無事合格して授業の試験を受けることができることのありがたさを感じます。1つ1つの事柄が自分を成長させてくれて、新しい価値を教えてくれて、その喜びを日常のなかでひしひしと感じています。
この環境を創り出してくれたのは、「慶應が嫌だから早稲田に行きたい!」という自分の強い思いです。動機は不純ではあるけれど、ちゃんと考えたわけではないけれど、それは間違いなく自分の思いでした。その想いに耳を傾けて、それを信じてこれたからこそ、今胸を張って充実した学生生活を送れているのだと思います。