志望動機は不純でいい。「憎しみ」から決めた早稲田大学第一志望 - cocoiro career (ココイロ・キャリア)


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「これだけは絶対に嫌だ!!!無理!!!」というもの、みなさんにはありますか?
私のそれは、某有名大学でした。

今日は、私が今いる大学に進学することになった理由と、それについて思う本音、良かったこと悪かったこと、いろんなことを正直に語らせてもらいます。

「憎しみ」から決めた志望校

私は今、早稲田大学の人間科学部というところで1年生をしています。
もしかしたらこの時点で察していただける方もいらっしゃるかもしれませんね。私が嫌だったものは慶應義塾大学です。
(ただこれは私自身の環境のせいで、慶應義塾大学自体が嫌だったわけでもなければ、あくまで個人的な意見ですので、どうか関係者の方は気を悪くなさらないでください。)

親戚の多くが◯◯出身

そうなった原因は私の家族環境にあります。父をはじめとして、父方の親戚の約半分ほどの人が慶應義塾大学を卒業していました。そして私の曽祖父が慶應義塾大学で理事をしていたこともあり、親戚の中では慶應に対する好意とそれ以外に対する排他的な態度が流れていました。その清らかでない雰囲気を、私は幼い頃から感じとっていました。
そして、私が特にそれを忌み嫌うのは、専門学校卒の母がその雰囲気により肩身の狭い思いをしていたからです。私は母が大好きでした(もちろん今もですよ)。田舎で生まれ育ち環境のせいで大学には行けなかった、そんな母の事実は私にとって隣の家の晩御飯くらいどうでもいいものでした。だから、そんなどうでもいいことで母の心が蝕まれているのが憎くてたまりませんでした。勉強に努力できることが全てではないのに、大学に行けないのは自分のせいだけではないのに、それ以外の、人としての魅力よりその「慶應義塾大学卒業」という学歴が魅力的に映る意味が、小学六年生の私には理解できませんでした。
そして、言葉には出さないけど「あなたも慶應に行きなさいね」と私に語っているような親戚の態度が虫唾が走るほど大嫌いでした。人生で一番憎たらしいと感じた瞬間でした。初めてそれを感じた時は、顔に唾を吐いてやろうかと思ったほどです。そんなこんなで、慶應義塾大学がどんなところか全く知らぬままに、私は慶應義塾大学を嫌いになってしまいました。

負けたくない!

ただ、そんな人たちより「ランク」の低い大学に行って見えないところで嘲笑われるのはもっと嫌でした。
だから、慶應義塾大学と並んで「早慶」と総称される早稲田が非常に魅力的に私の目に映りました。というかむしろ、「ここに行くしかない」というほうが正しいかも知れません。「俺はあなたたちとは違うから」という親戚に対する全力の対抗を、あの頃の僕は学歴で示そうと決めました。母から聞いた話だと、私はその小学六年生の頃から「早稲田に行きたい」と母に漏らしていたらしいです。

こんなことがあり、私の志望大学は小学生の頃からずっと「早稲田大学」でした。お読みいただいた通り、全くもって大学自体に関係のない理由で志望校を決めていますね。将来やりたいことを加味しているわけでもなければ、「憎しみ」という一つの感情で、しかも大学に対してではなく家族に対しての感情で決めた大学に今通っています。それはもしかしたら将来の選択肢を狭めてしまったかも知れないし、出会うはずだった素晴らしい人々との出会いを知らぬままに閉ざしてしまったかも知れない。しかし、私は後悔していません。