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皆さんは「意識高い系」と聞いて、どう思うだろうか?
私は「意識高い系」の同級生が高校の頃苦手だった。ただ大学に入って、人生を選択するときに、彼らのことを少し見習いたいと思うことが増えてきた。
もくじ
「意識高い系」とその他の人
「意識高い系」とは
まず、「意識高い系」について確認したい。
Wikipediaによると「意識高い系」とは、
自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。
(引用元:意識高い系 | Wikipedia ))
このように、完全に悪い印象で書かれている。しかし、その人たちは本当に周りから軽蔑しかされない、変わった人なのだろうか。
自分の周りにもこれに当てはまるような人はいたし、いやな気持ちになった時もあった。しかし、高校の時「意識高い系」の人たちは目の前の楽しいことばかりを追うのではなく、最終的な目標に向かって努力していた。ただ、まだ実力が伴っていない段階で、その目標を周りの人々に伝えたために、嘲笑されていたのだと思う。
大学における意識高い系
大学ではどうなのか。
高校より自由があり、全国から学生が集まるといえども、偏差値や学部によって進路に差があるため、結局、大学には似たような人が集まっている。そのような大学の中でも、自分の意志より、周りの状況を見て周囲に合わせるといった人が多い。
たしかに周りの人の感情や意図がわかりそれに応じて対応ができるのは大人になっても武器になることであり、「意識高い系」と嘲笑される人に足りない部分かもしれない。
でも、あなたは「意識高い系」の人たちのように何かを目標に努力をしているのだろうか。ただ周りに合わせながら狭い世界で物事をとらえていないだろうか。
私が感じているのは、全員が「意識高い系」のように周りを気にせず自分の道を突き進むようになるべきと意味ではなくて、この人たちから学べることがあるということだ。
例えば、ほとんどの人が深く考えていないようなことについて、しっかり考える姿勢である。