小学校プログラミング教育とは?その内容と意義、学びの未来を探る - cocoiro(ココイロ) - Page 2

小学校プログラミング教育のねらい

小学校プログラミング教育がどういった学びを目指しているのか、さらに詳しく見ていきましょう。学習指導要領は、プログラミング教育を実施するねらいとして、次のようなものを挙げています。

ねらい①:「プログラミング的思考」を身につける

ひとつめは「プログラミング的思考」を身につけるということです。「プログラミング的思考」とは、プログラミング教育導入に先立ち2016年に開催された有識者会議(小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議)において、提唱された概念です。

(「プログラミング的思考」とは)

自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力

(引用元:小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議(平成28年6月16日)『小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)』

このような「プログラミング的思考」は、情報技術が人間の生活にますます身近なものとなる中、それらのサービスを受け身で享受するだけではなく、働きを理解して使いこなし、自らの人生や社会をより良いものにしていくために必要な能力です。有識者会議は「急速な技術革新の中でプログラミングや情報技術の在り方がどのように変化していっても、普遍的に求められる力である」と述べています。

ねらい②:コンピューターの働きに気づく

小学校段階のプログラミング教育では、プログラミングの働きや、現代の情報社会がそれらの情報技術によって支えられていることに気づくことを、ねらいのひとつとしています。コンピューターやプログラミングは、ツールであり手段です。決して、人間の預かり知らない仕組みで動く不思議な機械なのではなく、人間が命令を与えることにより、その意図をよりスピーディにより大きくより効果的に増幅して実現してくれる道具なのです。コンピューターの働きを知り社会でどのように機能しているか気づくことは、現代の社会を理解し、自らも問題解決の能力を手に入れることに繋がります。

ねらい③:人生や社会にコンピューターの力を生かす姿勢を持つ

ではなぜ人間は、情報技術の力を使い、より大きなことを可能にしようとするのでしょうか。それは決して、自分の凄さを誇示したり、他人に強い力を振るって従えたりするためではありません。情報技術を活用するのは、身近な問題に対処して自分の人生をより良いものにするため、そして社会の問題を解決して人類全体の幸福を目指すためです。

理系や工学系の大学は、専門の教育よりもむしろ、幅広い分野に及ぶ教養教育「リベラルアーツ」を大切にしています。プログラミング教育が遠い地平に展望するものも、よりよい社会を築き人類の幸福を目指す、人間としての基本的な態度なのです。

参考

文部科学省(平成30年11月)『小学校プログラミング教育の手引(第二版)』
小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議(平成28年6月16日)『小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)』

リベラルアーツについて知る|夢ナビ

小学校プログラミング教育の疑問を解く

小学校プログラミング教育について、よく言われる疑問を取り上げていきます。

「学校でパソコンやソフトの使い方を教える」ということ?

パソコンなど情報機器の使い方を学ぶことは、プログラミング教育を成立させる前提であり、プログラミング教育の一部でもあります。しかし操作スキルの習得は、その中核ではありません。そのことを理解するために、イギリスのコンピューター教育の歴史を見てみましょう。

イングランドでは1980年代から「コンピュータースタディズ」という名前の授業が存在し、プログラミングを含めた幅広い意味のコンピューター教育が行われていました。ところがその後、家庭用のコンピューターが登場し、文書作成や表計算など便利なアプリケーションが生まれたことで、アプリケーション操作スキルに焦点を置いた新しい教科「ICT」に置き換わります。

しかし2000年代に入ると、その流れへの批判的な検討が始まります。コンピュータースタディズ再必修化の機運が徐々に高まる中、2011年Googleのエリック・シュミットが行った以下のスピーチが決定打に。翌年にはICTを廃止し、コンピュータースタディズが再度必修化されることになりました。

【意訳】私は今日イギリスの学校で「コンピュータサイエンス」が教えられていないことを知って驚きました……ITのカリキュラムは、ソフトウェアをどうやって操作するかにフォーカスしていて、どうやって造られるのかについては教えてくれないのです。

(引用元:イングランドのコンピューティング必修化に学ぶ-実施から3年で見えた課題|EdTechZine

コンピューターの働きや仕組みを知らずその上で動くアプリケーションの操作方法だけを学ぶことは、経済の動きを知らず指示されるまま働くことに似ているのかもしれません。それは、自ら情報を活用し技術を使いこなす主体的な力からは、遠いものなのでしょう。

プログラミング技術を覚えることは必要?不要?

それではプログラミングの技術を習得すれば、コンピューターそのものを知り、それを使いこなす力を得ることができるのでしょうか? 未来の情報社会に対応できる大人になれるのでしょうか?

小学校におけるプログラミング教育の取り組みが広がる中、「将来のために小さい頃からプログラムを書くこと=コーディングを身につけさせよう」「コーディングは時代によって変わるものだから、プログラミング教育は無駄」という相反する主張が起こりました。2016年の有識者会議は、それらの意見はいずれも、コーディングを覚えることがプログラミング教育の目的であるという誤解に基づくものではないか、と述べています。

有識者会議が示すプログラミング教育の考え方は、以下のようなものです。

プログラミング教育とは、子供たちに、コンピューターに意図した処理を行うよう指示することができるということを体験させながら、将来どのような職業に就くとしても、時代を超えて普遍的に求められる力としての「プログラミング的思考」などを育むこと

(引用元:小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議(平成28年6月16日)『小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)』

一方「プログラミング的思考」の重要性が強調されるあまり、「論理的な思考を身につけることが目的なので、実際にプログラミングする必要はない」「プログラミング教育はパソコンやタブレットを使わなくてもできる」という風潮も広まるようになりました。しかしこれもまた、誤解を含んでいます。そのことについて、次に詳しく見ていきましょう。