千葉県野田市の小学4年生が、父親から日常的に体罰や暴力を受け、2019年1月に命を落としたニュースはあまりにもショッキングでした。逮捕された父親は、警察に「しつけのためだった」と供述したと言います。子供が死に至るような体罰を「しつけ」とはもってのほかですが、子供のお尻をたたくなど軽度の体罰は「しつけ」の範囲内として許容されるべきなのでしょうか? 体罰とは何か、体罰としつけの違い、体罰禁止の法制化について解説します。
もくじ
体罰の定義
文部科学省の見解
実際の体罰の実例に対する文科省の見解をご紹介します。
2012年に大阪市立桜宮高校のバスケットボール部キャプテンが、顧問から体罰を受けて自殺しました。問題の教諭は部活に熱心で、「厳しい指導」によりインターハイで好成績を上げていました。この事件をきっかけに、根性論で体罰が許容されていた学校の実態が大きな社会問題となり、政府は全国の教育委員会や学校に向け、体罰禁止徹底の通知を出しました。その際、体罰について、以下のように定義しています。
身体に対する侵害を内容とするもの(殴る、蹴る等)、児童生徒に肉体的苦痛を与えるようなもの(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。
(引用元:体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知)|文部科学省、2(2))
政府の定義する体罰とは、殴る、蹴る、突き飛ばす、平手打ちする、物を投げつける、つねる、閉じ込める、長時間正座させるなど、「肉体的な苦痛」を与えるものとされています。
国連子どもの権利委員会の見解
国連子どもの権利委員会が2006年に示した見解を見てみましょう。
委員会は、「体」罰を、どんなに軽いものであっても、有形力が用いられ、かつ何らかの苦痛または不快感を引き起こすことを意図した罰と定義する。
(中略)
委員会の見解では、体罰はどんな場合にも品位を傷つけるものである。これに加えて、同様に残虐かつ品位を傷つけるものであり、したがって条約と両立しない、体罰以外の形態をとるその他の罰も存在する。これには、たとえば、子どもをけなし、辱め、侮辱し、身代わりに仕立て上げ、脅迫し、こわがらせ、または笑いものにするような罰が含まれる。
(引用元:一般的意見8号 体罰等から保護される子どもの権利|Action for the Rights of Children)
国連の定義では、「どのような軽いものでも」「何らかの苦痛や不快感をもたらすことを意図した」行為はすべて、体罰とみなされます。なぜなら、これらの行為は「品位を傷つける」ものだからです。また、けなす、はずかしめる、怖がらせるなどの暴力を伴わない行為も、体罰同様に子供の品位を傷つけるものとされています。
どこまでしつけ?どこから体罰?
それでは、どこまでが「しつけ」や「指導」として許容され、どこからが「体罰」として禁止されるべきなのでしょうか。まずは、日本国内で一般的にどのように考えられているかを見てみましょう。
「げんこつ」はダメでも「お尻をたたく」のはOK?
子供支援の国際NGO団体セーブ・ザ・チルドレンが、2017年に全国の20歳以上の男女2万人を対象に、子どものしつけのための体罰に関する意識調査を行いました。その結果、約6割の人が何らかの形で体罰を容認していました。体罰の形態については、「こぶしで殴る」「ものを使ってたたく」「手加減せずに頭をたたく」ことには抵抗が強いのに対し、「お尻をたたく」ことについては、7割の人が容認していることが分かりました。
(参照元:子どもに対するしつけのための体罰等の意識・実態調査結果報告書|セーブ・ザ・チルドレン、P8)
(参照元:子どもに対するしつけのための体罰等の意識・実態調査結果報告書|セーブ・ザ・チルドレン、P9)
しつけと体罰の違い
それでは、「お尻をたたく」のはしつけの一環なのでしょうか? 国連子どもの権利委員会の定義に照らし合わせると、どんなに軽いものであっても、子供に痛みや不快感を与えようとしてする行為は全て体罰となります。逆に言うと、親がふざけて「お尻ぺんぺん」をしても、子供が痛くも怖くもなければ、それは体罰ではありません。
では、体罰としつけの違いは何でしょうか?
しつけとは、子供が自分で自分のことをコントロールする「内的コントロール」力を育てていくことです。子供はいずれ親や学校の庇護を離れ、社会で自立して生活していかねばなりません。そのために、子供が自ら考え、判断し、律する力をつけることが、「しつけ」の目的です。
着物を縫うとき、縫い目が曲がらぬようまずおおまかに縫っておく「しつけ糸」があります。それと同様、「しつけ」は、子供が人として間違った道に進まぬよう大まかな枠を提示ことです。あとは子供が多少失敗しても、自ら力をつけていくのを見守らなくてはなりません。時間がかかり効果が見えにくいものの、子供が自ら獲得した「内的コントロール」力は一生有効です。
それに対し体罰とは、親が子供のことをコントロールする「外的コントロール」です。子供が体罰によって態度を改めるのは、痛みや恐怖から身を守るべく反射的に行動しているからであり、自らの意思で行動を選択しているわけではありません。したがって、監視の目がなければ親の望む行動はとりません。「外的コントロール」は即効性があるものの、効果が持続しないのが特徴です。