中秋の名月(十五夜)の歴史
そもそも「中秋の名月」の月見がいつ始まったのかというと、時は平安時代にまで遡ります。「中秋の名月」は平安時代に唐から伝わった文化であり、初めは貴族の中で広まりました。当時の月見は月を愛でながら酒を飲む、船の上で詩歌や管弦を楽しむなどといったことが行われていたそうです。今でこそ月見は歴史ある文化ですが、当時はまさに流行の最先端のイベントだったのです。
さらに、「中秋の名月」の月見が庶民にまで広まるのは江戸時代になってからになります。「中秋の名月」である旧暦の8月15日は、現在の暦でいうと9月から10月ごろにあたり、稲や芋などの収穫時期でもあります。
庶民の間で広まるころになると、「中秋の名月」の月見は収穫祭や初穂祭の一環という意味合いが強くなっていきました。「中秋の名月」は、いも類の収穫祝いも兼ねるものになっていき、「芋名月(いもめいげつ)」という別名で呼ばれることもあったそうです。つまり、月見を眺め、酒や詩歌や管弦を楽しむ貴族の文化とは少し違う意味合いを持つようになったのです。
しかし現在では、収穫祭や初穂祭という意味合いでお月見をしている人は少ないでしょう。農業に従事している人の割合も江戸時代に比べると少なくなり、月見は収穫祭や初穂祭ではなく、かつての貴族文化のように月を愛でる行事と考える人が多くなりました。
実はお月見は中秋の名月(十五夜)だけではない?
お月見というと、「中秋の名月(十五夜)」しか思い浮かばない方も多いでしょう。しかし、実はほかにもお月見の行事はあるのです。
十三夜
旧暦の9月13日にするお月見を「十三夜」といいます。「中秋の名月」の後に行われる月見で、「十三夜」は「中秋の名月」に次いで美しい月であるといわれています。
「十三夜」は、豆や栗の収穫祭の意味合いもあり、「豆名月」「栗名月」とも呼ばれていました。今日では、「十三夜」に月見をするという人は少ないかもしれませんが、昔の人は「十三夜」と「中秋の名月」の月の出具合でその年の作物の豊凶を占っており、とても重要な意味を持つものでした。「十三夜」は小麦、「中秋の名月」は大麦の豊凶を占うものとされており、その日よく晴れると、豊作になると信じられていたそうです。
また昔は、「中秋の名月」と「十三夜」のどちらか一方だけ月見を行う行為は「片見月」「片月見」と呼ばれ、縁起の悪い行為であると考えられていたようで、「十三夜」は「中秋の名月」と同じくらい重要な行事だったのです。
十日夜
「十日夜(とおかんや)」は、「中秋の名月」や「十三夜」と同じように農業に関係が深い行事で、収穫祭の意味合いを持ち、旧暦10月10日に行われていました。「中秋の名月」や「十三夜」との大きな違いは、「十日夜」はお月見がメインの行事ではないということです。
それでは、「十日夜」とはどのような行事なのでしょうか。それは地域によっても異なるようです。和文化研究家の三浦 康子氏は以下のように話しています。
十日夜には、田の神様の化身とされているかかしにお供えものをしたり、かかしと一緒にお月見をしたりする「かかしあげ」の風習があります。また、わらを束ねた「わら鉄砲」や「わらづと」で子どもたちが地面を叩いて作物を荒らすモグラなどを追い払い、土地の神様を励ますなど、地域によってさまざまな行事があります。
(引用元:2019年のお月見はいつ? 3つの月見の由来と楽しみ方 | All About)