『ホームレス中学生』の読書感想文の着眼点
家族のあり方について考える
「家族とは何か?」子供にとって大きなテーマです。田村少年は、自分1人の力で生きたのではありません。実の家族、家族のように接してくれる周りの大人たち、友人たち、さまざまな人の支えのおかげで育っていきました。血のつながった家族としてのあり方や、枠を超えた地域家族について着目してもいいでしょう。子供が家族について考えられるいい機会となるでしょう。ホームレス中学生/田村裕のあらすじと読書感想文|ミニシアター通信に記載のあった感想文を一例としてご紹介します。
『ホームレス中学生』は、読み終えていろいろなことを考えました。父親は、親戚に不幸があったさいに「香典を貸してくれ」と執拗に頼んだことがあり、そこから、親戚とはぎくしゃくしていたようです。しかし、父親や親戚は頼りにできませんでしたが、同級生の両親や、学校の先生たち、近所の人々、そして、何よりも、立派な兄と姉の支えがあって、田村少年はまっすぐに育つことができたのだなと思いました。子どもが友だちを家に連れてきて、飯食わして、といって、あいよ、とばかりにごはんを食べさせてくれるのは、大阪の人情というものでしょうか。大阪というところは縁がなく、話に聞くくらいの知識しかないのですが、奥深い場所だと思いました。
(引用元:ホームレス中学生/田村裕のあらすじと読書感想文|ミニシアター通信)
通常の家族の枠に止まらない視点で、家族のあり方を捉えている感想文です。
貧乏エピソードに注目する
田村少年は、壮絶な貧乏生活を経験しています。その生活に注目して、驚きを伝える一方で、今ある環境に感謝するきっかけにしてもいいでしょう。極貧生活のエピソードは、田村裕が成功した後、読者を驚かせる一つのネタにもなっています。「人間万事塞翁が馬」という言葉のとおり、何が人生のプラスになるのかは誰にも分かりません。ホームレス中学生/田村裕のあらすじと読書感想文|ミニシアター通信で記載されていた感想文を一例としてご紹介します。
『ホームレス中学生』の中で、爆笑した個所がありました。街で、フルフェイスのヘルメットをかぶった女が時速10キロくらいで原チャリを走らせ、「10キロの女」としてうわさになる場面です。自転車に追い抜かれていた、坂道にさしかかるとさらに遅くなる、など、うわさはどんどんひろまっていくのですが、正体は、田村少年の姉でした。
姉が友人から譲り受けた原チャリを田村少年が横転して壊してしまい、修理するお金がないので10キロほどのスピードしかでないまま走っていたのでした。しかし、夏に、姉がフルフェイスから半ヘルに変えると、正体がばれて、「10キロの女、たむちんのお姉ちゃんやんけ!」と爆笑されていました。
(引用元:ホームレス中学生/田村裕のあらすじと読書感想文|ミニシアター通信)
今振り返るなら、おもしろいエピソードと考えられますが、ハードな生活を強いられていたようです。
幸福と不幸について考える
家族がバラバラになり、極貧生活を余儀なくされた田村家の子供たち。「父親が悪い」と考える方もいるかもしれませんが、父親もまた、同時に妻と母をがんで亡くし、自身もがんの治療のために会社をクビになり、心身ともに疲弊した末の解散だったのです。子供たちは壮絶な10代、20代を過ごしますが、そのなかで培われた絆もあったはずです。幸福と不幸について考えてもいいでしょう。ホームレス中学生/田村裕のあらすじと読書感想文|ミニシアター通信に記載された記事をご紹介します。
「10キロの女」こと姉も、田村少年の母親代わりとして自分を犠牲にし、また、兄も「誰かがお金を確実に稼いでお世話になった人達に返していかなければ筋を通すことができない」と夢をあきらめていました。もちろん、本書に書いてある内容は壮絶な出来事の中のごく一部で、書くべきではないと判断したことは書いていないのでしょうが、『ホームレス中学生』を詠み終えて(原文ママ)、兄弟3人の絆、そして、周りの人たちの人情が心に染みました。
(引用元:ホームレス中学生/田村裕のあらすじと読書感想文|ミニシアター通信)
姉や兄は、自分たちの幸福と不幸について否が応でも考えなければならなかったでしょう。そこを支えてくれたのが兄弟3人の絆だったのかもしれません。