『蜘蛛の糸』の読書感想文を上手に書くコツと物語の復習 - cocoiro(ココイロ) - Page 2

『蜘蛛の糸』の読書感想文の着眼点

お釈迦様が蜘蛛の糸をなぜ垂らしたのか?

お釈迦様は、どういった思いでカンダタへ糸を垂らしたのでしょうか。カンダタを本当に救ってやりたければ、別のやり方もあったのかもしれません。なぜ、本人を試すような方法で救い出そうとしたのでしょう。お釈迦様の考えを読み解いてみてもいいかもしれません。芥川龍之介『蜘蛛の糸』あらすじと読書感想文(シンプルな書き方です)|百人一首で始める古文書講座に記載されていた感想文を一例としてお伝えします。

「極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃった御釈迦様が犍陀多を助けてやろうと思いついたのは単なる思いつきであり、暇つぶしに過ぎない。御釈迦様のその姿は、蜘蛛を助けようと思いついた犍陀多の姿に重なる。人を殺める罪を犯した犍陀多が、小さな虫を哀れに思ってその命を救おうと思った背景に、深い理由などないだろう。その行為の裏にあるのは彼の心に偶然沸き起こった単純な思いつきである。

(引用元:芥川龍之介『蜘蛛の糸』あらすじと読書感想文(シンプルな書き方です)|百人一首で始める古文書講座

この感想文では、お釈迦様の行動を単なる思いつき、暇つぶしとして捉えています。ほかには、どういった捉え方があるのかも考えてみましょう。

カンダタはほかの罪人にどう対応すべきだったか?

ほかの罪人たちも糸によじ登るシーンで、カンダタはどう対応すべきだったのでしょうか。「みんなのものだから、順番に登ろう」と提案すべきか、お釈迦様に「人数分の糸を垂らしてください」とお願いすべきだったか、そういった観点で考えてみてはいかがでしょうか。芥川龍之介『蜘蛛の糸』あらすじと読書感想文(シンプルな書き方です)|百人一首で始める古文書講座に記載されていた感想文を一例としてご紹介します。

蜘蛛の糸をよじ登る犍陀多が考えるのは自分自身のことばかりである。しかし、彼が独善的になる一因は地獄の環境にもあるのではないだろうか。

(中略)

しかし、自らの身に及ぶ苦痛に耐えしのぶだけで精一杯になってしまう地獄の過酷な暮らしは、他人の気持ちを思いやる心のゆとりを犍陀多から奪ってしまったとも考えられる。そもそも大罪人である犍陀多が、地獄の底で針の山や血の池などの様々な責苦に苛まれることによって、彼が備えていた独善的な側面は増長されてしまったのだろう。

(引用元:芥川龍之介『蜘蛛の糸』あらすじと読書感想文(シンプルな書き方です)|百人一首で始める古文書講座

犍陀多が独善的な心を持ってしまったのも、地獄という環境ゆえ、といった視点を持った方の感想文でした。

切れた糸から何を学ぶべき教訓は?

カンダタが、極楽浄土へ続く蜘蛛の糸を独り占めにしようとした結果、蜘蛛の糸は切れてしまいました。この失敗から読者は、どんな生きる教訓を学びとれるでしょうか。人から略奪をくり返してきたカンダタは、簡単には変わることはできなかったのです。物語から得られる教訓に注目してみるといいかもしれません。蜘蛛の糸を読んで | 表彰式小中学生読書感想文コンクール|向日市立図書館で表彰されている感想文をご紹介します。

この本を読んで、人間の気づかないような素直な部分について、深く考える機会を得ることができました。それは、みんなが持っているものだと思います。つまり、みんな自己中心的な部分があるということです。でも、そのせいで犯罪者になるのはいけないと思います。だから、この本を読んで、どれだけいけないのか理解して変わることができました。だから、これからはこの本をほかの人にも読んでもらって、僕と同じように変わってもらえるようにがんばり、それを広めていこうと思います。

寺戸中学校 1年 小林 幹 さん

(引用元:蜘蛛の糸を読んで | 表彰式小中学生読書感想文コンクール|向日市立図書館

人間の悪い部分を本と通して学ぶことができたようです。