令和の由来となったのは万葉集のどの歌?
万葉集には約4500首もの詩が収録されていますが、ここではどの歌が「令和」の由来になったかを詳しくご紹介します。
出典は梅花の歌三十二首の序文
「令和」の由来となったのは万葉集の第5巻に収録されている、梅花の歌三十二首の序文です。
■梅花の歌三十二首の序文
初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(かぜやわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす
(引用元:新元号「令和」の由来は? 万葉集の梅花歌三十二首の序文から | zakzak)
この詩の現代文訳は、以下のようになります。
「初春のよき月、気も清らかで美しく風も和やかで、鏡の前で化粧をするように梅が咲く様子」
(引用元:新元号「令和」の由来は? 万葉集の梅花歌三十二首の序文から | zakzak)
そして、この梅花の歌三十二首の序文にある「初春の令月」こそが「令和」の由来となっており、「令月」とは「すばらしい月」を意味しています。このように、柔らかい春の訪れを言葉にした梅花の歌は、新しい時代の幕開けでもある新元号の由来としてふさわしい詩であるといえるのではないでしょうか。
梅花の歌三十二首の序文の作者は不明
梅花の歌三十二首は、大伴旅人の邸宅で開かれた宴会で、白く咲き誇る庭を題材としてうたわれた詩であるそうです。作者は不明とされていますが、有力な説として2人の歌人が挙げられています。まずは大伴旅人。奈良時代の歌人であり、万葉集の編さんにも関わった大伴家持の父です。万葉集には、大伴旅人の作品が下記のとおり残っています。
長歌1首,短歌 53首 (これに巻五の無署名歌を加える説もある) ,漢文の序,書簡,『懐風藻』に詩1編
(引用元:大伴旅人 | コトバンク)
大伴旅人は都から大宰府に左遷されていました。大伴旅人がこの詩を作ったのであれば、この詩には「もうすぐに都に帰ることができるかもしれない」という大伴旅人の希望も含まれているのかもしれません。
さて、もうひとり、梅花の歌三十二首の序文の作者として有力視されているのは山上憶良です。こちらも奈良時代の歌人で、大伴旅人とともに歌人として活発に活動していました。
長歌約 10首,短歌約 50~80首,旋頭歌1首
(引用元:山上憶良 | コトバンク)
このように万葉集にも多くの収録されており、有名な「貧窮問答歌」など社会問題や人生などについた詩が多く残されています。この2人のうちのどちらかが、万葉集の梅花の歌三十二首の序文の作者ではないかと考えられています。