通知表で「オール1」になった人が身近にいない場合、「実際にある話なの?」と思うかもしれません。しかしながら、何らかの事情で通知表がオール1だった過去を持つという人も存在します。そして、オール1だった人のなかには、どん底から這い上がって、インフルエンサーとして活躍し、同じ悩みを持つ人たちの支えとなっている人も。
今回の記事では、オール1になったエピソードと一緒に成績の挽回法についても触れていきましょう。
もくじ
通知表オール1になる理由
中学の段階で通知表が「オール1」になるタイプは、皆が文字の読み書きや計算、運動などが全くできないというわけではありません。
実情は、いじめなどが原因で学校にほとんど行けていない「不登校」の生徒が、オール1になりやすい傾向です。学校に行けていないために提出物が出されない、宿題も出さないなどが続き、学校側としては評価ができなくなり、「1」の評価となってしまうのです。
通知表オール1になった経験者のエピソード
通知表でオール1になった人は一体どのような人か、気になる人もいることでしょう。実は、メディアでも活躍している著名人もかつては、オール1になった経験があります。この章では通知表オール1(ほぼオール1も含む)の著名人についてピックアップします。
宮本延春氏
宮本延春氏は、愛知県豊川市にある私立豊川高校で理科教師として教鞭を執る方です。宮本氏自身、名古屋大学卒業後、名古屋大学大学院の宇宙物理学を専攻という輝かしい経歴なので、「オール1」とは無縁に思われますが、かつてはいじめられっ子であり、苦労人でした。
宮本氏は、小学校からいじめが原因で勉強に手がつかなくなり、中学生になると「オール1」の通知表を手にすることに。しかも中学の段階で掛け算九九の2の段しか言えない、英語はbookしか知らないという落ちこぼれでした。このような成績から進学ができないこともあり、中学卒業後は大工の修業を経て、地元の建設会社に就職することになります。
そして、宮本氏の転機が23歳。アインシュタインに関するビデオを見たのがきっかけで物理学に興味を持ち、大学進学を志します。中卒ということもあり、まずは高校入学を目指して、猛勉強。24歳で今の勤務地である豊川高校夜間定時制に合格し、着実に学力を上げ27歳で名古屋大学に入学します。
やがて宮本氏の若い時期の経験・軌跡が注目されます。そして、2007年に内閣が設置した教育再生会議に有識者として就任。今では、執筆活動や全国各地の講演会でも活躍しています。
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藤田ニコルさん
藤田ニコルさんは、ロシアとポーランドにルーツを持つハーフのモデル兼タレントです。ファッション誌やテレビのバラエティ番組を中心に活躍し、幅広い世代から人気を得ています。周りを和やかにする可愛らしい笑顔と天真爛漫なニコルさんのキャラクターから、「苦労」とは無縁と思えるかもしれません。
実は、ニコルさんもかつては、不登校だった中学生の1人でした。中学生ですでにモデル活動をしていたニコルさんは、学校でもマークされる人物となり、それがいじめへと発展。心無い言葉を受けることもあり、不登校に。通知表の所見欄のコメントには気の利いた内容があるものの、教科の評価に関してはほぼオール1となりました。
いくつかの苦労をしながら高校では通信制に入学し、家族を支えるためテレビやモデルの仕事をしながら卒業。そして、2018年には自身のプロデュースブランド「NiCORON(ニコロン)」を立ち上げ、活動の幅を広げています。彼女のサクセスストーリーがどのように展開されていくか要注目です。
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上野耕平氏
上野耕平氏は、数々のコンクールで上位に入賞した経歴を持つ新進気鋭の若手サックス奏者です。加えて、上野氏の東京藝術大学器楽科を卒業した経歴と、端正なルックスも相まって、順風満帆かと思いきや、実は中学時代に「オール1」を取った意外な経歴があります。
中学時代にはすでにサックスを始めていた上野氏ですが、問題を起こし、学校の吹奏楽部を強制退部。周りとの距離を置きつつもサックスだけはやめず、高校の途中まで一匹狼で練習に打ち込みます。茨城県内の通信制の高校から東京藝術大学のみ受験して合格。2016年には、昭和音楽大学の非常勤講師として指導に当たっています。
演奏や後進の指導の傍ら、全国を回りながら子供向けのワークショップを開催し、演奏する楽しさと魅力を伝えています。
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上野耕平 オフィシャルサイト|Kohei Ueno Official Site