端午の節句のお飾りの定番。どうして兜と鎧を飾る? - cocoiro(ココイロ) - Page 2

そもそも端午の節句とは

現代では「こどもの日」

昔から5月5日は、端午の節句として呼ばれていましたが、現代では「こどもの日」として認識されています。実は、端午の節句を国民の祝日の「こどもの日」に制定されたためです。1948年に、「こどもの人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」として定められています。

端午の節句の由来は?

端午の節句は、古代中国に起源しています。節句は、「季節の変わり目」という意味で、その時期に発生しやすい病気や厄災などを避けるために重要視されていました。「端午」は、旧暦5月の最初の午(うま)の日。旧暦5月は、現在の6月。旧暦5月は、ちょうど梅雨の時期です。武士の台頭した鎌倉時代、室町時代には、梅雨の到来前に鎧や兜といった武具を風通しのいい場所に出して、虫干しや手入れをしていました。五月人形を飾るしきたりはこういった武家の習慣に由来しています。

江戸時代には、徳川家によって「五節句」を年中行事として定めました。「五節句」とは、七草の節句、桃の節句、端午の節句、竹(笹)の節句、菊の節句の5つ。武家中心の世の中として栄え、5月には病気や厄災をさけるための行事として、薬草を摘み、菖蒲(しょうぶ)を入れた酒を飲む風習がありました。

「菖蒲(しょうぶ)」という発音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであったため、武家の間で「菖蒲の節句」とも呼ばれたのです。