花祭りの歴史
形を変えながら各地で行われている「花祭り」ですが、どのような歴史を経てインド生まれのお釈迦様の誕生日を、日本で祝うようになったのでしょうか。
中国から日本に伝来
インド生まれのお釈迦様の誕生を祝う花祭りは、もともとインドの西域で行われていました。仏像や仏塔の周りを回りながら礼拝をする「行道」や、輿に仏像など信仰対象を載せて行列を組んで練り歩く「行像」などの行事が行われていました。その後、4世紀に中国の後趙(こうちょう)で行われるようになり、唐や宋の時代に広まりました。
中国を経由して花祭りが日本に入ってきたのは、聖徳太子が活躍していた606年と言われています。お盆の行事とともに伝来し、「日本書紀」の606年の条に下記のように記されています。
是の年より初めて寺毎に、四月八日、七月十五日に設斎す
(引用元:花祭りと春山入り| 天理大学考古学・民俗学研究室紀要)
奈良時代には大きなお寺を中心に始められ広まり、すでにお釈迦様の像に香水をかけるということも行われるようになっていました。
平安時代にはお寺の年中行事になった
中国から伝わってきた花祭りは、平安時代の840年にはお寺の年中行事として定着するようになりました。鎌倉時代以降には先ほどご紹介したような、家の庭先に季節の花々を竹竿に結んで高く掲げる風習が行われるようになってきました。
江戸時代になると、寺子屋などで教えられ、庶民にも広がりを見せます。お釈迦様の誕生を祝うだけでなく、このころになると災厄除けの側面もあったようです。4日8月にお寺の境内で売り出された卯ノ花や薺(なずな)を買ってきて、卯ノ花は仏壇に供えて、薺は虫除けの呪いとして行灯に意図で下げたりしていました。
またお寺からもらってきた灌仏会の甘茶で墨をすり、「ちはやぶる卯月八日は吉日よ神さけ虫を成敗ぞする」という呪文を紙に書いて戸口に逆さに貼れば、「長虫が家に入らない」「蚊帳の釣り手にその紙を結びつければ悪虫が中に入らない」と各地で言われるようになりました。
「花祭り」となったのは明治から
明治時代のグレゴリオ暦導入後、4月8日は関東地方より西の地域で桜が満開になる時期であるため、浄土真宗の僧侶・安藤嶺丸が「花祭り」の呼び方を提唱しました。それ以来、宗派を問わず「花祭り」は「灌仏会」の代名詞として使われるようになりました。
この時代の庶民派この4月8日の時期に農業・山などでの活動時期を迎えるため、明治より前から春が来ることを祝う宴や行事が開催されていました。また東日本では農業を忌む休日、山の神を祀(まつ)る祭事、山開きが行われたりされていました。西日本では、花を庭先に立てることや、お墓参り、飢え苦しむ生類や弔う者のない死者の霊に飲食物を供えて、経を読む供養である「施餓鬼」が行われています。
ご先祖、農業の神、山の神などの神様を祀るときに、花に憑依(ひょうい)するとも考えられているため、花で神様や祖先を祀る行事として「花祭り」となった、と解釈することもあります。
終わりに
「花祭り」は、お釈迦様の誕生を祝うお祭りとして日本に伝来し、今でも続いているお祭りです。ただ、地域によってはご先祖様や農業、山の神様を祀る日でもあります。自分が参加する花祭りにはどのような意味があるのか、興味を持ちながら参加するのも花祭りを楽しむコツとなるかもしれません。
参考
花祭りと春山入り| 天理大学考古学・民俗学研究室紀要
戦国期常陸国佐竹領の郷村構造と民衆動向 : 殿原・おとな・百姓・家風|茨城大学大学院人文科学研究科
花祭りとは?|仏教ウェブ入門講座
「花祭り」とは?2019年はいつ?お釈迦様の像に甘茶をかける理由とは?|日本文化研究ブログ Japan Culture Lab