元号とは?
独立国家の象徴として独自の元号を採用
そもそも元号とは、皇帝や王が自らの治世で時間を区切るものです。時間はいつでも絶えず続いていくものではなく、ある王が支配している間はその王が定めた時間が流れるという考え方です。この考え方は、中国漢の武帝によって初めて取り入れられ、皇帝は領土だけでなく時間も支配するという概念を体現化しました。
日本では645年に「大化の改新」によって、政治の実権が豪族から天皇に移り、天皇統治の象徴として中国の元号制を導入し、初めての元号「大化」が定められました。当時、中国の制度を取り入れることは、国家体制の近代化を意味しました。また、中国の制度を取り入れながらも、日本独自の元号を使用したことは、中国からは独立した国であることを主張する意味もありました。
日本だけに残る元号制度
元号はかつて、中国だけでなく朝鮮半島やベトナムでも使用されていました。しかし、いずれも皇帝や王がいなくなると元号も廃止され、西暦を使うようになりました。世界中で日本のみが現在でも元号を使用しています。
「一世一元」は明治以降
天皇1人につき1つの元号が使われ、天皇代替わりのときのみ改元が行われる「一世一元」制は明治時代に採用されました。それ以前の元号は、天変地異などが起こるたび、凶事を断ち切るために改元されていました。最も多い例では、後花園天皇の時代に1代で8回も改元が行われました。
元号廃止の論議を経て元号法制定
明治維新により、日本は近代的な立憲君主制の国家として生まれ変わりました。大日本帝国憲法が定められ、天皇が主権者であることが明記されました。それにともない、元号も旧皇室典範で法制化されました。
敗戦により日本国憲法が制定され、天皇は主権者から象徴となりました。旧皇室典範は廃止され、元号は法的根拠を失いました。政府は日本国憲法制定後、元号の法制化を試みましたが、GHQ(連合国軍総司令部)の反対によって断念しました。その後30年以上にわたり、元号は法的根拠のないまま、国会や政府、裁判所の公的文書、民間の新聞などで慣例的に使用されていました。
しかし、元号の法制化を求める声は根強くありました。その一方で、天皇が主権者ではなくなった以上、天皇統治の象徴である元号も廃止すべきだという意見もありました。
議論を受けて、政府が1977年に元号使用の是非に関して世論調査を実施したところ、元号を支持した人は80%以上に上りました。政府は、1979年にたった2条から成る元号法を制定しました。ただし、反対派にも配慮をし、元号の使用は義務化されませんでした。
法律第四十三号(昭五四・六・一二)
◎元号法
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
(引用元:法律第四十三号(昭五四・六・一二)|衆議院)