高専柔道ってどんな柔道?歴史やルールを解説! - cocoiro(ココイロ)

子供が柔道に取り組んでいるという保護者の方の中には、「高専柔道(こうせんじゅうどう)」という言葉を聞いたことがある方もいるかもしれません。

この記事では高専柔道が持つ歴史や、今も続いている高専柔道のルールについて解説していきます。

高専柔道とは?

そもそも高専柔道とは、いったいどのような柔道をさしているのでしょうか? まずはその起源や、その歴史を解説していきます。

寝技中心の柔道

高専柔道とは、もともとは旧学制下の高等学校と専門学校が参加した学校対抗団体試合である「全国高等専門学校柔道優勝大会」という大会です。柔道は柔道でも、投技や足技ではなく「寝技」を主な戦術として勝負を競った柔道のことをさしています。

1914年12月に京都帝国大学(現在の京都大学)の主催によって始まりましたが、戦争などの関係で1941年に文部省により「無期延期」の指令が出ました。しかしその後も、高校や専門学校に進学を目指す中学校、また高校・予科を卒業した学生の進学先である大学にまで伝わったため、学生柔道界に広く影響を及ぼしたのです。

嘉納治五郎もお手上げの「治外法権」柔道

日本で生まれたスポーツ「柔道」と言えば、柔道の父と呼ばれる嘉納治五郎が有名です。高専柔道はこの嘉納治五郎もお手上げの「治外法権」な柔道であったとも言われています。

それは、嘉納自身が近代柔道を発展させるために創設した「講道館」という道場で行われていた柔道と、高専柔道は違っていたからです。嘉納自身が著した「柔道試合審判規程の改正について」の講道館新規程の要点をまとめた村山輝志の解説によると、以下のように記載されています。

(引用元:高専柔道の特長と意義について|富山県立大学紀要第28巻

上記のように、嘉納は学生柔道の寝技に積極的な意義を見出せず、批判こそしていたものの、結局のところ高専柔道が寝技中心の柔道から変化することはなく、今日まで至っているのです。

現在は七帝柔道がその流れを汲んでいる

高専柔道は第二次世界大戦後も継続しており、現在は「七大学柔道大会」という形でその流れをくんだ大会が実施されています。七大学柔道大会は「七帝柔道」などとも呼ばれ、北海道大学・東北大学・東京大学・名古屋大学・京都大学・大阪大学・九州大学のいわゆる「旧帝国大学」の7校で構成されています。

柔道部に在籍する学生が1年間、練習で鍛えた技と力を発揮するために、毎年1回開催されています。

(参照元:七大学柔道審判規定|第67回全国七大学柔道優勝大会