不登校の子供のその後~不登校の経験を生かして輝く人たち ( 2 )

不登校だった人たちの今

では、不登校を克服し、現在活躍している人にはどんな人がいるのでしょうか。

漫画家・棚園正一

自らの不登校経験を題材にした漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』(双葉社)の作者・棚園正一は、小中学校の9年間ほとんど学校へ行きませんでした。中学生のときに、『ドラゴンボール』の作者・鳥山昭に出会ったことをきっかけに漫画家を目指しました。現在、漫画家・イラストレーターとして活躍しながら、美術教室や専門学校で講師もしています。

不登校から高校生社長へ

小幡和輝は約10年間不登校で、定時制高校に進みました。その後、地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業しました。2017年には、47都道府県から参加者を集めて、「地方創生会議」を開催し、Twitterのトレンド1位となりました。2018年には「#不登校は不幸じゃない」というイベントを全国100ヶ所で同時開催し、不登校本人、不登校の子供の家族、不登校経験者が集いました。

ドバイの海で機械のメンテナンス

河野篤志は小学校5年から不登校になり、中学1年の途中からフリースクールへ行きました。その後、高等専門学校に進学し、医療福祉工学を学びました。卒業後、日本海洋掘削に就職し、ドバイで勤務しています。

好きなサッカーをしていたら就職まで実現

鈴木亜実は中学2年で不登校になり、転校したもののまた不登校になりました。中学3年はフリースクールへ通い、その後サッカーの専門学校へ進学しました。卒業後はサッカーショップに勤務、現在は社会人サッカーチームのキャプテンをしています。

立ち直った子供の親の共通点


紹介した4人は、不登校から現在に至るまでの経歴はさまざまです。しかし、保護者の対応にはいくつか共通点がありました。

無理矢理学校に行かせなかった

1つ目は、保護者が無理矢理学校へ行かせなかったことです。子供の不登校の事実を受け止め、「学校へ行かない」という子供の選択を尊重しました。

不登校の子供自身、学校は行くべきだと分かっています。しかし、さまざまな事情により心も体も疲れきってしまっていて、学校へ行くエネルギーがないのです。学校へ行けないのなら、せめて家には安心していられるようにしてあげましょう。学校へ行くことを強制すると、子供は逃げ場を失います。

余計な口出しをせず、子供を見守った

2つ目は、子供が失敗をしても、余計な口出しをせず見守っていたことです。鈴木亜美は自らの希望で転校しましたが、制服や教科書を揃えた後にまた不登校になってしまいました。棚園正一も定時制高校を3ヶ月で辞めています。

学校へ行かないことは、「楽」な選択肢ではありません。普通に学校へ行っていれば、ある程度進む道は見えてきますが、不登校の子供は自分で探さなければなりません。暗中模索の中でさまざまな失敗もします。自らトライ&エラーを重ねてこそ、自分の進むべき道が見えてきます。

子供の人生は子供自身のもので、親がコントロールできるものではありません。親が心配して口出しすると、子供を追い詰めることになります。親はどっしりと構え、余計な口出しをせず見守ることが大切です。