主体性が低い人に共通する特徴
主体性が低い人にはどういった特徴が見られるのでしょうか?
他人任せにしがち
主体性が低い子供に共通している代表的な特徴の1つに「人に任せっきり」というものが挙げられます。「何をするべきなのか」「どうすれば良いのか」を自分で考えようとする力が足りないことから、判断を人に委ねてしまいがち。
こういった経験はありませんか? 一緒に海外旅行に行った友人が、「目的地までのルートを把握していなかった」「観光スポットを何も調べていなかった」というケース。これは、誰かがなんとかしてくれるだろうという他人に頼りきった主体性の低さが原因だと考えられます。
周囲の意見に流されがち
自分の興味関心がなかったり、自分で物事の良し悪しを考えて意思決定する力が不足しているため、周囲の考えや意見に流されてしまうというものです。
相手の気持ちに寄り添う共感性や、考えを受け入れる協調性も必要ですが、子供には子供なりの意思や動機が必ずあるもの。自分の考えをすべて胸のうちに秘めて何も言わないのは、それは単に「自分がない」のと同じことになってしまいます。
ただ相手に迎合するのではなく、「自分はこう思う」「こうしたらもっと良くなると思う」という具合に、相手の意見を受け入れつつも自分の意思を主張することもときには必要です。
問題を先送りにしがち
分からないことを放置する、あるいは今起きている問題や面倒なこと、嫌なことを先送りにする傾向にあります。上司から間違いを問い詰められた際、「これからはちゃんと考えます」と言う人がいますが、また同じ失敗を繰り返してしまっては、それは考えているとは言えません。
「どこに問題があるのか」「なぜミスが起きたのか」「どういう対処をすれば良いのか」「次同じ失敗を繰り返さないために何が必要なのか」を掘り下げることを考える必要があります。
主体性の低い人は、思考が習慣化されていないため、分からないことを放置してしまったり、辛いことがあると途中で投げ出してしまったりするのです。
人のせいにしがち
主体性が低い人は、自分の意思で考え、判断し、責任を持って実行することに不慣れであることから、発言や振る舞いなど一貫性に欠けてしまいます。自分が悪いことでも人のせいにする傾向が強く、自分の間違いや過ちを素直に受け入れることができないのです。
「上司のミスなのになぜか自分が叱られる」「上司から言われたとおりに動いたのに、そんな指示は出していないと言われた」というように、世の中は理不尽なことだらけ。しかし、相手に非があったとしても、自分のことばかりを主張するのではなく歩み寄ろうとする気持ちや素直な心が大切なのではないでしょうか?
子供の主体性を低くするのは親の行動に原因が?
子供の主体性を低くしてしまっているのは、教育する親が原因かもしれません。
親が子供に口出し、手出ししすぎる
子供のやることなすことに口出し、手出ししすぎると、子供は「親にやってもらわなければ、何もできない」状態になってしまいます。
「家に帰ってきたらまずは手洗いをしなさい」「今日の天気予報は雨だから傘を持っていきなさい」「けがをすると危ないからそんな危険な遊びはやめなさい」というように、子供に考える余地を与えない教育環境は、必ずしも子供にとってプラスになるとは限りません。
「かわいい子には旅をさせよ」ということわざがあるように、我が子をいつでも近くに置いて甘やかすのではなく、自分の子供が1人でも生きていけるように社会の厳しさを教えてあげるのも愛情の1つなのではないでしょうか?
みんなと同じであることを押しつける
「◯◯ちゃんの家では……」「誰もそんなことしていないよ」という具合に、所属している集団からはみ出ないように他の人と同じであることを押しつけるというパターン。
たしかに、周囲の状況に合わせて臨機応変に対応する強調性や柔軟性も大切です。しかし、型にはめることに何の意味があるのでしょうか? それは恐らく、子供よりも「自分がまわりにどう思われるか」周囲の目に敏感になってしまっているからかもしれません。
足並みをそろえさせるのではなく、子供が「やりたい」と思ったことをさせてあげられる環境作りも教育の1つなはずです。
すぐに答えを出してしまう
主体性の低さの根本的な原因は、「自分で考える」ということが習慣化されていない、身についていないことにあります。その要因となっているのが、答えを先に出してしまうということ。
要するに、「危ないからダメ」「けがをするからダメ」「洋服が汚れるからダメ」などと結果だけを与え、なぜそれがダメなのか、けがをしないためにはどうすべきなのか、ということを子供に考えさせる時間を提供できていないのです。子供自身による試行錯誤をさせることで、問題解決能力や学習力が身についていきます。