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大学のレポートは高校までの感想文などとは書き方が異なります。レポートは基本的に学術論文と同様の形式で書くことを求められるため、入学して間もない時期は勝手が分からずに苦労する学生も多いでしょう。感想文とレポートの違いの中でも特に大きいのが一人称の使い方です。そこで今回は、大学のレポートにおける一人称の使い方について解説します。レポートを書く際に気を付けたい基本事項についても取り上げているので、ぜひ参考にしてください。
もくじ
大学のレポートで一人称を使うのはNG?
大学のレポートでは一人称を使わないように指導されるのが一般的です。ただし、レポートの種類によっては一人称の使用が許される場合もあります。以下、感想文とレポートの違いや一人称の使い方の原則、一人称の代用として使える言葉について、順を追って解説していきます。
感想文とレポートの違い
レポートにおける一人称の使用の是非を考える前に、感想文とレポートの違いについて確認しておきましょう。
例えば読書感想文であれば、本を読んで「感じたこと」や「考えたこと」について書きます。感想を述べるのですから、当然そこには「私」の主観が入ることになります。
一方の大学のレポートは、筆者の主観よりも客観性が重視されます。文章の中に考察を含めることは必要ですが、同時に裏付けも不可欠です。なぜそう考えるのか、その理由を文献の引用や実験結果を元に筋道立てて書かなければなりません。根拠を明示せずに「私はこう思う」と主張するだけでは文字通りの「感想文」となり、レポートの体をなさなくなります。
レポートでの一人称は避けるのが原則
前述のとおり、読書感想文などは主観が入ることが前提とされているため、「私」などの一人称で書くのが一般的です。
対して、大学のレポートでは客観性を求められることから、一人称の使用は避けるのが原則となります。ただし、レポートの種類や文脈によっては一人称が許容されるケースもあります。
レポートで一人称が許容されるケース
レポートであれ学術論文であれ、すべてを客観的な事実のみで構成するというのは難しいものです。文章にいくらかの主観が混じってしまうのは致し方ありません。ましてやレポートには「考察」を含める必要があるので、主観を完全に排除するのは不可能ともいえます。したがって、レポート内で筆者の意見や考えを述べる箇所では一人称の使用が妥当である場合もあります。
例えば、レポートの主題の選択が学生自身に委ねられている場合には、冒頭部分でそのテーマを選んだ理由について一人称を用いて説明したとしても不自然ではないでしょう。レポートの内容が何らかの個人的な体験に根差しているのであれば、「私」などの一人称を使って過去の出来事を紹介するといったことが考えられます。
一人称が許容されるかどうかは、レポートの種類によっても変わってきます。実験を伴う科学レポートよりも、特定の事象に対する意見を述べるタイプのレポートの方が一人称を使える場面は多くなるでしょう。また、レポート課題の出題者である担当教員によっても、一人称の使用が許されるかどうかは変わってきます。判断が難しい場合には、教員に事前に確認しておくのがおすすめです。
一人称の代わりになる言葉
レポートに一人称を使用しない場合、以下のような主語を用いるのが一般的です。
- 本稿
- 本レポート
- 本論文
- 本研究
また、一人称の使用が許容される文脈であっても、主観的な印象を薄めるために「私」と書くことを避けたいときには、「筆者」「我々」などと書くと良いでしょう。論文の主語に「我々」を使うのが通例となっている学問分野もあります。
英文レポートの場合
所属する学部や授業によっては、レポートを英語で執筆する機会もあります。英語のレポートや論文は日本語以上に細かなルールが定められています。英語圏の大学の学生は、入学後の早い時期にアカデミック・ライティング(Academic writing)と呼ばれる学術文書の書き方の授業を受講するのが一般的です。レポートにおける一人称の使用に関しては、日本語の場合と同様、主観的な印象を排するために「I」の使用を回避する傾向にあります。
ただし、学問分野によっては主語としての一人称の使用を許容する雰囲気も出てきているようです。一人称で書くことによって、受動態を多用しなくて済むというメリットもあります。能動態を多く使うことで、明快で分かりやすい文章表現が可能となります。
また、一人称の「We」は書き手1人に限定されない社会全体の見解や考えを提示したり、主張に権威を持たせる効果があることから、「I」よりも多く使用される傾向があります。