もともとの浪人ってどんな意味?
ただの浪人と大学受験浪人を区別するために「白線浪人」という言葉が生まれた、と解説しました。つまり、白線浪人以前から浪人という言葉が存在していたということになります。もともとの浪人とはどのような意味を持つ言葉なのでしょうか。
古くは「牢人」と書いた
現在では「浪人」の表記が一般的になっていますが、古くは「牢人」と書いたことが分かっています。「牢」という字がつきますが、投獄されているという意味ではありません。むしろ、放浪している者のことを「牢人」と呼ぶことが多かったようです。
参考
近世前期における江戸の牢人 : 「弘前藩江戸日記」・江戸町触の分析を中心に | 駒澤大学学術機関リポジトリ
中近世の封建社会で主君を失った武士のこと
武士が放浪していたのは、領地や主君を失ったからです。時代によっても制度は異なりますが、日本の中近世における武家社会は、基本的に主君や領主がいて、その下に仕える武士が存在しました。政争や疫病などによって主君がいなくなると、武士は現代でいう失業状態になります。土地を離れて流浪する者も出現したため、牢に浪の字が当てられていったようです。
主君がいない=仕事がないという意味合いに
江戸時代に入ってくると、一度浪人になった武士の再就職が難しくなってきます。戦争がなくなって雇用関係が安定したことや、主従関係を強めるために代々の家柄が重視されるようになったことが影響していると考えられています。
再就職ができない浪人は、大都市に集まって武士以外の仕事に就くことが多かったようです。
当時の江戸には40万人の浪人があふれていたと言われている。 運良く武家に勤め口を見つけた 者はよかったが, 苦労して商売を始めるものもおり, なんといっても建設関係の職につくものが多かった。
幸いなことに当時の江戸では江戸城の増築を はじめ, 旗本, 御家人たちの武家屋敷, 全国の大名たちの江戸屋敷, それに道路, 橋, 上下水道などインフラの建設ラッシュであった。 その上, 大規模な火災も相次いだ。 日銭を稼ぐ方法はいくらでもあった。 当時の江戸は, 浪人をはじめ, 農村からのあぶれ者など圧倒的に男が多い都市であった。
浪人は戦国時代であればいくさが終れば, 農民にもどるものがほとんどであった。 しかし秀吉の時代に兵農分離が進み, 江戸時代 に入って士農工商と身分が固定してくると, 帰る田舎を失った侍は改易などによって主家を失うと浪人として都市へ流れ込む以外に生きるすべがなかった。 戦争さえあれば, チャンスもあったが, 元和偃武以来戦争がなくなってしま たので, 完全に失業してしまうのである。
こうして見てくると浪人を生む背景として, 江戸時代に入って身分が固定ししかも戦争がな くなったことが基本的な条件として考えられる。 浪人激増は時代が生みだした構造的な産物だっ たのである。
(引用元:組織論で読み解く 江戸時代(5) | 法政大学学術機関リポジトリ 98〜99ページ)
「特定の主君に継続的に使えていない」という、武士のステータスを表す牢人という言葉が、このような経緯を経て「本来の仕事に就いていない」という意味合いに変化していきました。
受験の場においては、「本来大学に入れる年齢なのに、まだ受験生をしている」という意味合いで使われるようになったということでしょう。
現代では仮面浪人・就職浪人・司法浪人といった使い方も
「本来〜であるはずなのに…である」という文脈で使われる浪人という言葉は、現代ではたくさんあります。「仮面浪人」は第2志望以下の大学に入学しつつ、第1志望の大学を再受験する人です。就職活動をやり直すために留年したり、第2新卒になったりする人を「就職浪人」と呼ぶこともあります。旧司法試験制度では、何度も司法試験に挑戦する人を「司法浪人」と呼びました。