大阪大学の著名な卒業生12名を紹介!大阪大学のこれまでの歴史も - cocoiro career (ココイロ・キャリア)

子供が大阪大学を卒業した後、どんな人生を歩むかは、親御さんにとって最大の関心事になるかもしれません。今回は、大阪大学を卒業した著名な卒業生12名をご紹介します。

財界人

竹鶴政孝

1894年生まれ、広島県出身の技術者、実業家。NHKの朝の連続ドラマの主人公にもなった、ニッカウヰスキーの創業者です。実は、サントリーウイスキーやマルスウイスキーの誕生にも一部関わりを持っているため、「日本ウイスキーの父」としてもとても名高い人物です。大阪高等工業高校(現在の大阪大学工学部)の醸造科にて学びました。卒業後は摂津酒造へ就職。入社間もなく主任技師に抜擢されます。19世紀にアメリカからウイスキーが伝わってから、あくまで模造品しか日本で作られていませんでした。そこで純国産の開発に挑むため、竹鶴はスコットランドのグラスゴー大学へ留学して有機化学と応用科学を学びます。帰国後、純国産の製造に挑むも、第一次世界大戦の金融恐慌により、資金調達できずに計画は中断。摂津酒造を退職後、教職を経て、寿屋(現サントリー)に入社して、『サントリー白札』を発売しますが売上は伸び悩みました。1943年に大日本果汁(後のニッカウヰスキー)を創設。

盛田昭夫

ソニーの創業者。1992年に名誉大英帝国勲章を受賞しています。愛知県名古屋市出身。実家は酒屋でした。第八高等学校(現在の名古屋大学)、大阪帝国大学理学部物理学科を卒業しています。終戦後、1946年に井深大たちとともに東京通信工業株式会社(現在のソニー)を創設して、常務取締役に就任します。1950年に日本初のテープレコーダー「G型」を発売します。技術者出身でありながら、営業としても最前線で活躍。トランジスタラジオやウォークマンを世界相手に販売していきました。1986年には経団連の副会長に就任。1989年に石原慎太郎との共著『「NO」と言える日本――新日米関係の方策』を発表するとミリオンセラーに。1993年に脳内出血で倒れ会長を退きます。ハワイでの療養を経て、翌年ソニー・ファウンダー名誉会長に就任しました。

中村邦夫

松下電器産業(現在のパナソニック)の元会長。滋賀県立彦根東高等学校から大阪大学経済学部へと進学。松下電器産業の180度の改革を行った人物でもあり、「旧来の幸之助神話を壊した男」とも呼ばれています。1962年に松下電器産業株式会社へ入社。2000年には、社長に就任して「破壊と創造」をスローガンに掲げて、同社の改革に取り組みます。松下電器初となる「マーケティング」部門を組織化しました。2003年には、全国に1万8千店ある系列店を一律平等に支援するのではなく、意欲的な店舗に絞った支援を行いました。これは、松下幸之助の「共存共栄」を覆す大改革でした。

芸能人

遠藤奈美

KBS京都のアナウンサー。千葉県生まれ、兵庫県西宮市で育ちます。小学校1年生から高校1年生まで、父親の海外赴任に伴いアメリカのジョージア州で過ごします。Pepperell Hgih School(ジョージア州)から大教大附属池田高校、大阪外国語大学(現在の大阪大学)外国語学部地域文化学科スペイン語専攻を卒業。2006年にKBS京都へ入社しました。出演テレビ番組は、「京bizX」「京都新聞ニュース」「京都マラソン中継」「おこしやす京都国際映画祭開幕SP」「ええじゃないか。」「京都府議会中継」など多数。

上崎貴実代

サイエンスコミュニケーター。大阪大学理学部を卒業して、大阪大学院理学研究科と早稲田大学院政治学研究科を修了。講談社の「Rikejo」に登場しています。リケジョ(理系女子)のロールモデルとして、講談社の配信するメールマガジンを通して全国にいる理系女子中高生を応援しました。また、講談社主催のリケジョのキャリアに関するワークショップでの登壇や、都内の私立中高一貫校の成立学園で中高生向けの講演などを行っています。

木山裕策

1968年生まれ、大阪府大阪市出身。歌手。大阪外国語大学外国語学部スペイン語専攻に入学して、バンドを結成して、ボーカルを担当しました。プロミュージシャンをあきらめ、シナリオライターを目指してアルバイト生活をしますが続かず、会社員になります。2004年に甲状腺に悪性腫瘍を見つけ、全摘出手術を受けます。声を失う恐れもあったが、手術は無事成功。そこから歌手へ挑戦することを決めます。2007年に日本テレビの「歌スタ!!」に出演して、2曲を歌うと多胡邦夫の目に留まって、「home」を制作。同番組内で一度不合格になるものの、再挑戦してデビューが決まります。2008年には紅白歌合戦に出場。平日は会社員として、週末に歌手として活動していました。