やめるまでの経緯
興味はないけれど、向いているからやる。諦めまじりで音楽高校に入って数日で、私はとんでもないショックを受けることになります。
音楽高校で受けたショック
私は大人数の音楽教室に通ったことがなく、他にバイオリンを専門的にやっている同年代の人にほとんど会ったことがなかったので、同級生が全員音楽何らかの楽器を高い水準で演奏できる、という環境はそれだけでとても刺激的でした。空き部屋がないと廊下で練習することになるので、校舎内は常にさまざまな楽器の音で溢れていていました。けれど驚いたのは、演奏レベルに関してではありません。私以外の全員が、心からクラシック音楽や楽器の演奏が大好きだ、という事実に衝撃を受けたのです。「興味は全然ないけど、向いているからやる」なんて人は、私たった一人。一番仲良くなった尊敬する友人は、365日すべての瞬間、すべての経験を、もっと素晴らしい演奏のために活かそうという情熱の塊のような人でした。プロの演奏家になるということは、これほどの真摯さと執着心を持って音楽と向き合うということなのだ、と彼女から学びました。
やり過ごすだけの毎日
音楽高校の同級生はみな個性豊かで、信念があり、何よりも「上手くなりたい」「いい演奏がしたい」という想いを強く持っていました。やる気がないのにバイオリンを続けてこれたのは、ひとえに尊敬できる友人たちのおかげです。美しい音、良い音楽のために、何もかもを犠牲にしても構わないという生き方を間近で見ることができただけで、音楽をやってきた価値があると感じました。
その一方で、彼女たちのキラキラした表情を見るたびに、私はひとり場違い感を膨らませていました。そして、相変わらずほとんど0の興味と最小限の努力で目の前の課題を「片づけて」過ごしていました。
自分の興味を受け入れて、退学へ
そんな生活を続けていくうち、いよいよ限界がやって来ました。大学2年が終わりに近づいたとき、「このままでは演奏家になってしまう」という恐怖感が、「向いている」という誤解から解放してくれました。今やめなければ、もう好きなことを学ぶ機会はなくなってしまう。そう考え、すぐに退学という決断に至りました。情熱のない、ただ正確なだけの演奏ができることはなんの意味もなく、興味が持てることそれ自体が「向いている」ということなのだと受け入れざるを得ない時期が来ていたのだと思います。
そして、小さいころからずっと興味があった心理学と哲学を学べる大学に行くために、1年間浪人することにしました。退学、浪人、再受験という挑戦は、家族に受け入れてもらえたことで実現しました。本当にありがたいことです。