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こんにちは!ミコです。
私は高校を卒業後、親元を離れ上京した。
親元を離れたことによって、親の偉大さに気付いた。
上京してからは愛媛県民寮(学生寮)に住んでいる。
5万5000円の家賃の中に朝晩の食事、光熱費、水道代などが含まれているため、1人暮らし学生と比べると自分でしなければならないことは少なかった。
そんな私でも、親元を離れたことで親のありがたみ、偉大さに気づかされることが多々あった。
もくじ
朝起きられない、起こしてもらえない
親元を離れ1番困ったことと言えば、朝起きることができないことだ。朝起きられないことから、大学生活では遅刻、欠席する頻度がものすごく高くなった。これは大学の出席だけではなく、友達との待ち合わせ、アルバイト、就職活動などにいても痛感した部分である。
実家にいた頃は
親と一緒に生活していた頃は、どんなに夜更かししても、疲れていても起こしてくれる母がいた。
次の日に何かあることを母が知っていると必ず起こす。頼んでいなくとも起こす。
どんな手を使ってでも起こす。
寒い日には布団をはぎ取り、窓を開け寒さを使って私を起こす。
暑い日には、クーラー、扇風機のスイッチをOFFにして暑さを使って起こす。
もうとにかくどんな手を使ってでも、私を起こしてくれた。そんな母親をうっとおしく思っていたが、いざ親元を離れ自分で起きることができない状況に置かれると、朝起きられないことでたくさん失敗した。
大学では・・・
大学においては出席日数が足りず、単位を落としたこともあった。
アルバイトでは、遅刻したことにより沢山の人に迷惑をかけた。
就職活動では、最終面接に寝坊のせいで参加することができなかった。
たくさん失敗した。寝坊するたびに、早起きすることを心がけようと思うが、これがなかなか難しい。
親に起こしてもらっていた18年間。
親を頼りにしまくっていたつけが親元を離れてから回ってきた。
親が起こしてくれていなければ、高校も卒業できていなかったのではないかと思う。
自分で目覚めることができない。どんなに爆音の目覚まし時計でも起きることができない。王子様のキッスでもきっと目覚めることができないであろう私。そんな私を起こしてくださっていた母親には感謝、感謝であります。
洗濯の仕方が分からない
洗濯の仕方が分からない。洗剤はどこにどれくらいの量入れたらよいのか、分からない。
今でも正解は分かっていないが、6年間の洗濯経験を経て目分量でいい感じに洗濯できるようになってきた。
ネットなるものは使ったことがない。
何のために使うのか、分からなくて使わない。分からないから怖くて使えない。
どの服が色落ちするのか分からない。
たまに洗濯すると服の色が変わっていることがある。
黒色の服は灰色になり、白色の服も灰色になっている。服が全部灰色になったことがあった。
洗濯しても服が臭い。なぜだろうか。洗剤を入れて、柔軟剤も入れているのに服が臭い。
私が臭くて、洗濯機でもそのにほひを落とすことができないのだろうかと考えたこともあった。
しかし、実家に帰省した際母親が洗濯するととても良いにほひの仕上がり。こう、なんというか、フローラル、いや、シトラス、なんともフワッとほのかに良いにほひが香る仕上がりになっている。
やはり母はすごい。
実家に住んでいた頃から母の下で洗濯の修行を積んでおけばよかったととても後悔している。
小中高と友達ができたのも、テストで良い点が取れたのも、彼女ができたのも、母親が洗濯ものを良いにおい、ふわふわの仕上がりにしてくれていたおかげなのかもしれない。
ありがとう、お母さん。