その後の運動会
その後、徐々に運動会は全国へと広がっていきました。当初は子供向けではなかったものの、集団としての結束力や礼儀作法などを教える試みとして、野原や神社の境内などの広い場所で行われていたそうです。大正期には盛り上がりを見せ、各学校で開かれるようになります。また、村祭りなど地域イベントの側面も持ち、屋台などが出ることもあったそうです。当日は朝からお店や家業を休みにして、町中総出でお祝いのようににぎわっていたこともあり、当時の文部省(現文部科学省)や府県が、「運動会を派手にしないように」と命令を繰り返し出しているほど、立派なお祭を開催し続けていたようです。
このように運動会は海軍の高校生の寮から始まりましたが、戦争との関わりも無縁ではなく、日中戦争時には愛国行進曲というダンスを行なっています。太陽戦争のときには、体操科が体錬科と名前なまえを変かえ、科目に体錬科武道が新設された。そして運動会の種目にも柔道、なぎなた、剣道けんどうの3つが登場しました。
まとめ
運動会の歴史はいかがでしたでしょうか。あまり運動に興味がなく運動会を嫌がる子供には、こうしてそもそも運動会とは何か、語ってあげるのも良いかもしれません。運動会はみんなと力を合わせて頑張る機会です。どのようにして盛り上がるかというところも大事ですが、チームと一緒に頑張る子供の姿を精一杯応援しましょう。
参考・参照
https://mainichi.jp/articles/20160904/kei/00s/00s/007000c
https://info-treasure.com/archives/733