紅葉の花言葉とは?赤く染まる理由や紅葉狩りの歴史について - cocoiro(ココイロ) - Page 2

紅葉狩りの歴史

紅葉の鑑賞がメイン

「紅葉狩り」とはいうものの、葉っぱを収穫することが目的ではありません。一番の目的は、紅葉の鑑賞です。では、なぜ「狩り」という言葉を使うのでしょうか。「狩り」は一般的に動物を捕獲する際に使われる言葉です。一方、「きのこ狩り」「ブドウ狩り」といった野菜や果物の収穫にも使われるようになってきました。

「紅葉狩り」と命名された理由には、主に3つの説があります。まず、狩猟をしない貴族たちが紅葉のために山へと出かける行為、その自然を愛でる贅沢を「狩り」にたとえたという説。そして、実際に落ち葉を手に乗せて鑑賞するため、あたかも狩っているようだという説。最後は、戸隠山に住んでいた「紅葉姫」という鬼女を倒すために「狩り」と表現したという説。いずれが真実かは明らかになっていません。

ちなみに「狩って食べる」という言葉どおりの意味でいえば、大阪府の箕面市で「食べるもみじ」を販売しています。もみじ(楓)を油で揚げた甘い味付けのお菓子です。

平安時代の貴族から

平安時代の貴族は、花を愛でるという文化を持っていました。特に人気だったのは桜や藤。これらの花は邸宅内で見られますが、紅葉を楽しむためには山まで移動しなければなりません。こういった手間を面倒くさく感じていたようです。

貴族たちは、主に春に宮中行事を行っていました。逆に宮中行事の少ない季節が秋で、お月見や重陽(ちょうよう)の節句程度でした。

また、彼らの赤色に対するイメージは「無常」。良いイメージを持っていなかったようです。さらには宗教的な影響も大きかったと考えられています。

『平家物語』ですが、白い旗は源氏、赤は平家です。壇ノ浦の合戦の後、波間に平家の赤い旗が漂い紅葉のようだった、という描写があるように、もの悲しさを象徴する色でもあったようです。

(引用元:紅葉狩りの起源|そうだ京都、行こう。

平安時代の紅葉狩りは、なかなか貴族の肌に合わなかったようです。

江戸時代の行楽として人気

人々が少しずつ紅葉狩りを楽しむようになったのは室町時代以降。豊臣秀吉は、醍醐の花見を開催した同年に、好きだった紅葉狩りを開催しようとしたほどです。庶民も気兼ねなく楽しめるようになったのは江戸時代以降でした。

江戸時代中期ころ、富裕な商人が生まれ町民文化が華やかになるのとともに、紅葉狩りは行楽として爆発的な人気になりました。ちょうどそのころ、伊勢神宮へお参りする伊勢講やおかげ参りが流行り、庶民の間で旅行ブームが起きました。その火付け役となったのが『都名勝図会』などの名所案内本です。紅葉の名所を紹介すると、たちまちそこに人が押し寄せました。同じ版元が出した『友禅雛(ひいな)形』と呼ばれる小袖(着物)のデザイン本も女性の間で引っ張りだことなり、「竜田川の紅葉」や「紅葉の名所」をデザインした最先端の小袖を着て紅葉狩りに出掛けるのがステータスだったのです。

(引用元:紅葉狩りの起源|そうだ京都、行こう。

当時の流行りは最新の小袖と紅葉。我先にと、おしゃれアイテムをまとい紅葉スポットに出向いて、その経験を周りに自慢していたのかもしれません。

江戸時代になると紅葉の木の下に幕を張り、お弁当やお酒を持ち込んで花見同様どんちゃん騒ぎをしました。現代とまったく同じです。そこに宗教観はなく、遊興の楽しい気分だけがありました。

(引用元:紅葉狩りの起源|そうだ京都、行こう。

単に紅葉を見るだけでなく、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎも楽しんでいたようです。昔も今も、盛り上がりは同じだったのでしょう。

終わりに

紅葉、つまり楓の花言葉は日本人にとって馴染み深い言葉ばかりでした。日本の伝統文化を楽しむために、家族や友達と紅葉狩りに出かけてみてはいかがでしょうか。

参考

紅葉狩りの起源|そうだ京都、行こう。

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