紅葉狩りのおともに「もみじ饅頭」
「もみじ饅頭」とは?
広島県定番のお土産である「もみじ饅頭」は、明治40年ごろに誕生しました。旅館の茶菓子として、高津常助が開発したのが発端。宮島に訪れた伊藤博文は、紅葉谷公園で茶屋に寄りました。その娘の手を取って「紅葉のようにかわいい手、焼いて食べたら美味しかろう」と言ったことをヒントにもみじ饅頭を作ったともいわれています。100年以上にわたり広島県民に愛されている名菓です。
現代のもみじ饅頭
当初はこしあんだけでしたが、昭和50年ごろからクリームやチョコレート、チーズなど味の種類も豊富になっています。現在では、もっちりした生地の「生もみじ饅頭」をはじめ100種類以上のもみじ饅頭が登場しています。
紅葉狩りの歴史
古くから日本人の間で親しまれてきたのが紅葉狩りです。文化として正式に行われるようになったのは、室町時代。どちらかと言えば貴族の間で行われる年中行事でしたが、江戸時代になると様変わりしていきます。
江戸時代中期ころ、富裕な商人が生まれ町民文化が華やかになるのとともに、紅葉狩りは行楽として爆発的な人気になりました。ちょうどそのころ、伊勢神宮へお参りする伊勢講やおかげ参りが流行り、庶民の間で旅行ブームが起きました。その火付け役となったのが『都名勝図会』などの名所案内本です。紅葉の名所を紹介すると、たちまちそこに人が押し寄せました。同じ版元が出した『友禅雛(ひいな)形』と呼ばれる小袖(着物)のデザイン本も女性の間で引っ張りだことなり、「竜田川の紅葉」や「紅葉の名所」をデザインした最先端の小袖を着て紅葉狩りに出掛けるのがステータスだったのです。
(引用元:紅葉狩りの起源|そうだ 京都、行こう。)
庶民の間でも親しまれていました。一方で、今とは違う楽しみ方をしていたようです。
江戸時代になると紅葉の木の下に幕を張り、お弁当やお酒を持ち込んで花見同様どんちゃん騒ぎをしました。現代とまったく同じです。そこに宗教観はなく、遊興の楽しい気分だけがありました。
(引用元:紅葉狩りの起源|そうだ 京都、行こう。)
現在は紅葉の季節にどんちゃん騒ぎをすることはありませんが、昔は大いに盛り上がっていたようです。このように紅葉狩りは、伝統文化として歴史的に形成されてきました。
終わりに
広島県の定番スイーツ「もみじ饅頭」を楽しみつつ、紅葉を見て秋の訪れを感じる機会を作ってみてはいかがでしょうか。家族で広島県内の紅葉スポットをめぐってみてください。
参考
人気紅葉名所ランキング(広島県)|紅葉特集2018ウォーカープラス