『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の読書感想文の着眼点
登場人物1人ひとりの生き方に注目する
全五章で構成されている本書は、各章でさまざまな相談者が現れます。彼ら1人ひとりが、人生のどのような場面に直面しているのか、どんな心情を抱いているのかに注目してみてはいかがでしょうか。第二章の主人公、松岡克郎の物語に注目した感想文を読書感想文「ナミヤ雑貨店の奇蹟(東野圭吾)」|感想ライブラリーからご紹介します。
自分がアーティストとして世に出ることはなかったが、自分が作った曲が世に出た克郎は、幸福だったのか不幸だったのか。夢は叶ったといえるのか。
これは個人の考えによるが、少なくとも「自分の生きた証」は残った。それが、まず私の心に深く刺さった。火事が起こっていなかったら、セリの弟の身代わりになって死ななかったら、「再生」が世に出ることはなかったかもしれない。そんな切なさがある。そして、セリの恩返し。自分の弟を守ってくれた克郎にできる唯一の恩返しは、彼が作った曲を世に出すこと。
伝えること。彼の代わりに。人生、何が起きるか分からない。でも、自分を信じて前を向いていれば、何らかの形で報われることがあるかもしれない。第2章を読んで、そう感じた。第2章だけではない。この作品全体が、そう思わせてくれるのだ。数々の選択を経て、自分の人生が転がっていく、その様を、この作品は見せてくれる。
(20代女性)
(引用元:読書感想文「ナミヤ雑貨店の奇蹟(東野圭吾)」|感想ライブラリー)
正義と悪について考える
主人公の3人は、犯罪者、つまり悪人です。しかし、ナミヤ雑貨店で会ったこともない人の人生相談に乗ることで、変化していきました。正義とは何か? 悪とは何か? そんな着眼点で感想を書いてみてはいかがでしょうか。読書感想文「ナミヤ雑貨店の奇蹟(東野圭吾)」|感想ライブラリーに投稿されていた感想文をご紹介します。
悪は悪、正義は正義だと区別してきた自分がばかばかしいとも感じた。人は誰もが心を持っているのだ。悪と正義で分別できるような単純なものではないのだと。私は今まで悪いことをした友人、知人を「悪い奴だ」というレッテルを貼り、正義になることはないと思っていた。しかしそれは違ったのだ。
この本のように、悪に手を差し伸べるような存在があれば、私の友人たちも更正できたのかもしれない。私は自分の当時の考え方を恥じた。なぜあの時彼らに手を差し伸べることができなかったのか。手を差し伸べることができていれば彼らは更正することができたのではないか。何度も本を読み返したが、読み返すたびに無念の思いが胸を掠める。
私こそが悪なのではないかと感じるほどに。唯一救われたと感じた点は、主人公が過去に手紙を出して、帰ってきた返答が白紙だったという点だ。白紙はまだあらゆる道がある、自分で未来を作れるということだろう。この手紙を自分が受け取ったかのように感じ、これからの人生は今までの考え方を改めよう。
(10代女性)
(引用元:読書感想文「ナミヤ雑貨店の奇蹟(東野圭吾)」|感想ライブラリー)
相談する人と相談される人の苦悩に着目する
相談を受けていた店主は、妻を亡くして生きがいを見失っていました。しかし、悩み相談に乗ることで自分の生きがいを見いだします。年の功のおかげでうまく答えられるときもあれば、思わぬ結末に自責の念すら抱くときもあったでしょう。相手の相談に真摯に向き合うことは、相談者にとっても悩ましいことですが、それによる成長もあるようです。
店主は、作中で「相談者は、背中を押してもらえる答えがほしい」と言っています。相談者は、自分が望む答えと違う答えが来ると、何度も相談をくり返すのです。つまり、自分のなかで結論は出ていますが、あと一歩踏み出す勇気を回答者からもらいたかったのです。
相談する側、される側、両方の心の葛藤に着目してみてもいいでしょう。