端午の節句の粽(ちまき)とは?おすすめレシピや由来をご紹介

端午の節句の伝統料理の一つが、粽(ちまき)です。粽の由来や地域差、レシピなどについてご紹介します。

そもそも端午の節句とは?

端午の節句は、5月5日。現代の「こどもの日」にあたります。1948年に、国民の祝日として「こどもの日」が制定されました。それ以前は、「端午の節句」として呼ばれていました。端午の節句は五節句の一つ。端午の「端」は物のはしで、「始まり」という意味です。月の最初の「午」の日を節句として祝っていました。さらに旧暦の5月は、「午(うま)」の月であり、「午」は「五」とも読めること、縁起のいい陽数(3、5、7、9などの奇数)を重ねて、5月5日を端午の節句として決められたようです。

ちなみに、五節句は江戸時代に制定された年中行事です。1月7日の「人日(じんじつ)の節句」、3月3日の「上巳(じょうし)の節句」、5月5日の「端午(たんご)の節句」、7月7日の「七夕(しちせき)の節句」、9月9日の「重陽(ちょうよう)の節句」を示しています。

端午の節句の粽とは

粽の由来

粽の由来は、紀元前278年までさかのぼります。楚(そ)の国王の側近だった屈原は、正義感や責任感のある人物で、国民から慕われていました。しかし、陰謀のために国を追われ、失意の末に川に身を投じます。

その命日は、5月5日。彼の死を嘆いた人々は、その川にたくさんの粽を投げて、魚が屈原の体を食べないように祈りました。しかし、漢時代になって屈原の幽霊に出会った里の人たちは、「供え物が屈原の元へ届く前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に取られてしまっている」ことを知ります。

その対策として、楝樹(れんじゅ)の葉で米を包んで、五色の糸で縛り、川へ流すと無事に屈原の手元に届きました。これが粽の始まりと言われています。やがて日本にも伝わり、端午の節句で粽を食べるようになりました。粽は、災いを避ける効果を持っていると考えられています。赤・青・黄・白・黒の五色の糸は、子供の無事な成長と魔よけを意味し、鯉のぼりの吹き流しや矢車の色ともなっています。

粽vs柏餅 東西で違う?

柏餅のルーツは、江戸にあります。柏の葉が「一族繁栄」を象徴することから、子供のすこやかな成長を願って、武家や大奥の間でも縁起物として食べられていました。江戸を中心に東日本で広まったのは、西日本で柏の木があまり自生していなかったことが理由に挙げられます。

また、粽についても東西で違いがあるようです。Jタウン研究所のアンケート調査によれば、「東日本と西日本で食べられている粽の種類が異なる」ことが分かりました。東日本では「三角ちまき」を指し、西日本では「菓子系ちまき」を指していました。「菓子系ちまき」の発症は京都府ということも影響しているようです。

(参照元:関東・関西で「ちまき」の見解分かれる! 沖縄ではなんと…|Jタウンネット東京都

地域のある端午の節句の食べ物や習慣

江戸時代、「端午の節句」の食べ物や習慣には、地域差がありました。秋田などの出羽国では、粽のほかに「笹巻き」を作っていました。東北にあたる陸奥国では、柏餅や粽、赤飯などを食べていました。常陸国では、茅巻餅を贈答する習慣がありました。和歌山などの紀伊国では、柏に包んだ食べ物や「千巻」などがたしなまれています。兵庫の淡路国では、粽を神仏に備えて、家で食べました。肥後国では、粽以外なかったそうです。端午の節句は、地域差の大きい文化のようです。