クリスマスと言えば、ケンタッキーのフライドチキンを食べるのが一つの定番になっていますが、一体いつからチキンを食べるようになったのでしょうか? 意外なことに、欧米諸国ではクリスマスにフライドチキンを食べるということが一般的ではありません。今回の記事では、クリスマスにチキンを食べるようになった経緯と、海外のクリスマス定番料理をご紹介します!
もくじ
日本のクリスマスに「チキン」が定着するまで
日本にクリスマスが伝わってきたのは、キリスト教が伝わってきたのと同じタイミングでした。しかし、キリスト教が伝わった江戸時代は、キリスト教の布教が禁止されていたので、一般庶民に広がることはありませんでした。
では、一体いつからクリスマスが定着し、クリスマスには「チキン」を食べることが一般的になったのでしょうか? ここでは、アメリカでクリスマスが広がった経緯までさかのぼって解説します。
アメリカの開拓時代は七面鳥が定番だった
4世紀から5世紀ごろにクリスマスを祝う風習ができてから、ヨーロッパ諸国ではクリスマスに豚や羊などを食べるのが一般的でした。今でも、北欧のフィンランドやスウェーデンでは、豚のハムをクリスマスに食べます。
しかし、17世紀にアメリカ大陸へ入植したヨーロッパ人には、羊や豚などの家畜が十分ではなく、それに代わる食料として、当時のアメリカ大陸に多く存在していたと言われる七面鳥が重宝されました。
七面鳥は、ニワトリに比べるとサイズが大きく、丸焼きにすることでみんなのおなかを満たすことができたので、感謝祭やクリスマスなどの特別な日の料理としてぴったりだったのです。それ以降、アメリカでは感謝祭やクリスマスには七面鳥の丸焼きを食べるのが一般的になりました。
明治維新後、欧米文化の1つとしてクリスマスが浸透
日本にクリスマス文化が渡ってきたのは、キリスト教の布教と同じタイミングでした。ただ、江戸時代になるとキリスト教禁止令が出たので、クリスマスが民衆に広がることはありませんでした。
しかし、明治維新が起き、欧米文化を積極的に取り入れるようになるとクリスマスは少しずつ広がっていきます。1900(明治33)年には、横浜発祥の高級スーパー・明治屋が銀座に出店し、クリスマスツリーをディスプレイするようになりました。また、不二家では1910(明治43)年に、クリスマスケーキを発売しています。この時期には、クリスマスパーティが行われることもあったようです。しかし2つの大戦を迎え、クリスマスは影をひそめます。
参考
世紀超えともる聖夜の灯 明治屋(東京・中央)|日本経済新聞
不二家の歴史(明治から終戦)|不二家
ケンタッキーのクリスマスキャンペーンがきっかけで定着!
そして戦後になり、クリスマスが市民に定着するようになると、七面鳥は日本ではあまり手に入る食材ではなかったため、チキンをローストして食べるようになります。
しかし、1970年に日本1号店を出店したケンタッキー・フライド・チキンの登場により、流れが変わります。きっかけは、店舗近くのキリスト教系の幼稚園から「フライドチキンを買ってパーティをしたい。サンタクロースに扮してクリスマス会に来てもらえませんか?」という相談を受けたことでした。これが子供たちに大好評だったため、営業担当者が「クリスマスにはケンタッキー」をアピールしようと考えたのです。
そして、1974年からケンタッキーはクリスマスキャンペーンを始めます。これが、欧米文化を吸収していた当時の日本にフィットし、「特別な日」「欧米風のおしゃれな日」「子供を喜ばせる日」の定番料理としてフライドチキンが定着していったのです。