著名卒業生③:理系女子を牽引した女性研究者たち
折原フジ~東京工業大学の女子学生第一号
日本で初めての女子大学生は、1913(大正2)年、東北帝国大学が入学許可に踏み切った3名の女子学生でした。女子学生の誕生は、当時の社会に大きな衝撃と反発を生んだそうです。東工大の女子学生第一号はその約20年後、染料化学科に入学した折原フジでした。
年表
1926年 | 東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)理科に進学 |
1931年 | 東京女子高等師範学校助教授を経て、東京工業大学染料化学科に入学
卒業後、東京女子高等師範学校で再び教鞭を執る |
1939年 | 東京工業大学の同級生、瀧浦潔と結婚 |
1960年 | 52歳で逝去 |
(東工大TOPICS:「リケジョ」の先達たち|東京工業大学,資史料館とっておきメモ帳1 リケジョ(理工系で仕事をする女性)のパイオニアたち|東京工業大学博物館 より筆者作成)
ストーリー
前橋高等女学校から東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の理科に進み、卒業後は母校で教鞭をとっていた折原。周囲の強い勧めにより、東工大の染料化学科に委託生として入学します。卒業後は東京女子高等師範で教職、同級生の瀧浦潔と結婚。しかしすぐに戦争と瀧浦の単身赴任を迎え、苦労しながら子育てと仕事を両立させます。教授にまで昇進しますが、戦後の混乱期、ついに子連れ単身勤務を断念。神戸に移り以後は主婦となりますが、30代の頑張りが災いしたのか、52歳という若さで生涯を閉じることとなりました。戦時の過酷さ、女性が仕事を続けることの困難さがうかがいしれます。
佐藤公子氏~東工大初の女性工学博士
女性の工学博士がほとんどいなかった時代、東工大で最初の女性工学博士となったのが、佐藤公子です。応用物理の作井研究室で働きながら研鑽を積み、38歳で博士号を取得。実験と教育に打ち込む研究者人生でした。
年表
1947年 | 津田塾専門学校物理化学科卒業 |
東京工業大学応用物理系(金属)の作井誠太研究室で工務員及び助手を務め、研究に従事する | |
1962年 | 工学博士号を取得 |
1968年 | 電気通信大学に移る
金属材料・機械工学分野の教育研究に貢献 |
1990年 | 電気通信大学を定年退官 |
(東工大TOPICS:「リケジョ」の先達たち|東京工業大学,資史料館とっておきメモ帳1 リケジョ(理工系で仕事をする女性)のパイオニアたち|東京工業大学博物館 より筆者作成)
ストーリー
よく勉強ができ物理と数学が得意で、意志の強い元気な少女だったという佐藤氏。そんな娘に父は研究の道を進ませる決心をし、東工大の作井研究室の門をたたき、娘を託したそうです。恩師作井は男女同権を旨とし、工務員として働く佐藤氏にお茶くみなどの雑用は一切させず、研究に専念できるよう配慮してくれました。
恩師の配慮に応えようと、佐藤氏は必死に実験に打ち込みます。しばしば徹夜にも及ぶ研究生活のすえ、努力を実らせて博士号を取得。その後電気通信大学で教育と研究の生活を送りますが、研究室の学生たちのプライベートもサポートする、温かい教官だったといいます。
国久和子氏~液晶研究の飛躍的発展に貢献
東京物理学校(現・東京理科大学)を経て東工大の志田研究室で学び、工業技術院の東京工業試験所に勤め、結婚した後も研究人生を歩みました。国久の開発した小型熱分析装置は、試料を顕微鏡で見ながら熱分析することを可能にし、液晶などの研究を飛躍的に進展させています。
年表
1950年 | 東京物理学校(現・東京理科大学)卒業 |
東京工業大学志田正二研究室で物理化学を学ぶ
卒業後、工業技術院東京工業試験所に勤務 |
|
1966年 | 天然有機化学部主任研究官に就任
小型熱分析装置を開発する |
1979年 | 博士号取得 |
(東工大TOPICS:「リケジョ」の先達たち|東京工業大学,資史料館とっておきメモ帳1 リケジョ(理工系で仕事をする女性)のパイオニアたち|東京工業大学博物館 より筆者作成)
ストーリー
この時代の女性研究者にとって、研究と家庭の両立は一筋縄ではいかないものでした。家政婦さんに手伝ってもらいながら研究に打ち込む姿は、2人の娘たちにとっては「変わった母」と映っていたようです。国久氏は51歳で博士号を取得しましたが、次女はその5年後に19歳で偶然知るまで、母が博士であることを知らなかったのだとか。精力的に研究の道を邁進した国久ですが、その姉もまた苦学の末にアメリカ議会図書館の司書になった人です。彼女ら2人をアメリカに東工大にと送り出した母親もまた、逆境を糧に成長した気丈な女性。時代を先取りしたたくましい女性として、曾孫の代に至るまで誇りの存在となっているそうです。
著名卒業生④:こんなところにも東工大卒業生
菅直人氏~第94代内閣総理大臣
第94代内閣総理大臣として、東日本大震災後の対応に奮闘した菅直人氏も、東工大の卒業生でした。
年表
1970年 | 東京工業大学理学部応用物理学科卒業 |
1996年 | 厚生大臣として初入閣(第1次橋本内閣) |
2010年 | 第94代内閣総理大臣就任 |
2017年 | 立憲民主党結党、最高顧問就任 |
(菅直人|ウィキペディア より筆者作成)
ストーリー
東工大から政治の世界に進んだ菅直人氏。その政治活動の萌芽は、学生時代に燃え盛った大学紛争にあったようです。菅氏の卒業の年は70年安保闘争の最中で、菅氏は「全学改革推進会議」というグループを組織して活動。当時の指導教官は「学生運動にあっても研究生活にあっても、自分の考えを確かめ、現実的な中で果たしていくという性格だった」、同期の学生は「リーダーシップと正義感のとても強い学生というのが当時の私の菅さんに対する印象」と振り返っています。
参考
News & Topics:本学卒業生が内閣総理大臣に就任|東京工業大学
河津秋敏氏~RPG「FF」「サガ」シリーズの生みの親
RPGの大人気シリーズ「ファイナルファンタジー」「サガ」を手掛けたゲームクリエイターにしてゲームプロデューサー、河津秋敏氏。彼が東工大に在学した当時は、ゲームの道に進む同窓生は少なかったようです。
年表
1970年 | 東京工業大学理学部中途退学 |
1985年 | 株式会社スクウェアにアルバイト採用
社員となり、「ファイナルファンタジー」「サガ」シリーズの開発に加わる |
2004年 | 株式会社スクウェア・エニックスの取締役に就任 |
2007年 | 取締役退任、エグゼクティブ・プロデューサーとして開発に専念 |
(河津秋敏|ウィキペディア より筆者作成)
ストーリー
ボードゲームとコンピューターに夢中になっていた学生時代。ゲーム制作の道に入ったのはいわば偶然の導きで、アルバイト雑誌の求人広告をきっかけに、採用締め切り後ながら「とりあえず面接に」という運びになったそうです。アルバイトとして入社した河津氏はFFの開発チームに加わり、次にゲームボーイ黎明期のソフト開発に従事。ゲームボーイ初のRPG「サガ」を世に送り出し、ミリオンヒットを飛ばします。「サガの生みの親・河津秋敏」はこうして誕生しました。
参考
社長が訊く:ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー|任天堂
浜本階生氏~スマートニュース創業者
中学生の頃からプログラミングに熱中し、東工大の情報工学科を経てソフトウェアエンジニアに。自ら開発したアプリで起業した浜本氏のキャリアの築き方は、これからの学生たちの身近なロールモデルとなるでしょう。
年表
2005年 | 東京工業大学工学部情報工学科卒業 |
2007年 | レストラン検索サービス「EatSpot」
価格.com WEBサービスコンテスト最優秀賞受賞 |
2009年 | ブログ情報サービス「Blogopolis」
Yahoo! JAPAN インターネットクリエイティブアワード一般の部グランプリ他受賞 |
2011年 | Rmake設立、パーソナライズニュースポータル「Crowsnest」をリリース |
2012年 | スマートニュース株式会社を鈴木健と共同創業、代表取締役就任 |
(浜本階生プロフィール|Wantedly より筆者作成)
ストーリー
雑誌へのプログラム投稿やプログラミングコンテストにのめり込んだ中高生時代。東工大を卒業し、企業のプログラマー、フリーランス、会社設立と働き方を変えながら、浜本はwebやアプリのサービスを次々リリースしていきます。Crowsnestを運営していた時代には「路頭に迷いそうに」なるまでの失敗を見たそうですが、その経験を生かしたSmartNewsが大ヒット。2019年にはForbes JAPAN「日本の起業家ランキング」で2位に選ばれています。
参考
エンジニアの生存戦略 第4回:浜本階生-SmartNewsを作ったエンジニアのキャリア|gihyo.jp
東京工業大学とはどんな大学?
沿革
1881年に東京職工学校として設立。明治初期の急速な産業技術の近代化を背景に、中等技術教育を担う学校としてスタートした東京工業大学は、学科設備の拡充と教育レベルの引き上げを繰り返し、日本最高峰の理工系総合大学へと発展してきました。
2016年、学部と大学院を統一し、学院と系・コースによる教育体系に再編。より多様で柔軟な学びができる体制を整えました。2018年には、文部科学大臣から指定国立大学法人の指定を受けます。日本の大学の教育研究水準向上とイノベーション創出を牽引する、世界最高水準の教育研究活動が期待されています。
現在の教育体制と未来へのビジョン
現在の東京工業大学は、学院、系・コースにより、学士課程と修士課程、修士課程と博士後期課程の教育カリキュラムを継ぎ目なく設計した「学修一貫・修博一貫」の教育体系をとっています。その中で展開する教育は、学士課程から博士後期課程まで、教養教育と専門教育を継続的に統合させる「くさび型教育」です。
東京工業大学が目指すのは、確かな専門力と豊かな教養力、柔軟なコミュニケーション力と多様な展開力で、科学技術を基盤により良い社会を築く人材の育成。基礎的・基盤的・長期的な観点に基づく多様で独創的な研究成果によって、人類の幸福や豊かな地球環境、世界の平和と発展に貢献することを使命としているのです。
参考
まとめ
ご紹介した卒業生たちのストーリーから、彼らが何に興味を持ち、東工大でどんな学びを得て、それぞれの未来につなげていったか、その横顔が見えてくるのではないでしょうか。誰しも一直線の道をストレートに歩んでいるわけではなく、それでも学んだことはいずれどこかで未来の自分に結びつきます。理工系を目指す高校生もそれ以外の分野を志す高校生も、ぜひ大学で自らの興味に没頭してほしいと思います。
参考