福岡大学の著名な卒業生・出身者12名を紹介!福岡大学のこれまでの歴史も - cocoiro career (ココイロ・キャリア) - Page 2

文化人

福岡大学 著名な卒業生

森田宏幸さん

1964年、福岡県生まれ。福岡大学工学部機械工学科を卒業して、アニメーション制作会社シャフトへ入社。退社後、フリーになって「AKIRA」「魔女の宅急便」などの動画、「走れメロス」「MEMORIES」「パーフェクトブルー」などの作品で原画を担当しました。2011年、一般社団法人日本アニメーター・演出協会理事に選ばれ、4年間理事を務めます。デジタルアニメーション制作会社ポリゴン・ピクチュアズに所属して、デジタル作画をテーマにして制作に関わりました。2017年に同社を退社して、フリーとして活動しています。

小林よしのりさん

1953年、福岡県生まれ。福岡大学人文学部フランス語学科卒業。1976年に、「ああ勉強一直線」を投稿してデビューを飾ります。しかし、人気が振るわず集英社との専属契約が終了。しかし、1986年に「月刊コロコロコミック」で連載の「おぼっちゃまくん」が大ヒットを記録し、ほかの作品も人気となりました。1989年に「おぼっちゃまくん」で小学館漫画賞を受賞しています。1992年からは作風をがらりと変えて「ゴーマニズム宣言」を連載しています。

スポーツ選手

梅野隆太郎さん

1991年、福岡県生まれ。小学2年生から少年野球チームに所属して野球を始めました。福岡工大城東高校に特待生優遇で入学しましたが、全国大会とは無縁でした。福岡大学に進学して、チームを4季連続で全国大会出場へ導く活躍を見せ、2013年のドラフト会議で阪神タイガースに入団。2018年からは、阪神で正捕手に定着しています。

相木崇さん

1978年、熊本県生まれ。小学4年生で野球を始め、熊本市立商業高等学校では3年の夏の県予選でベスト4に。福岡大学体育学部に進学すると、九州六大学リーグでMVPを獲得。2000年にはオリックスへ入団。2008年のロッテ戦では2試合連続で完封勝利を果たしています。2005年に阪神へ移籍するも、2007年に戦力外通告を受けました。2008年からは、松下電器で野球部に入り社会人野球の世界で活躍しています。

黒部光昭さん

1978年、徳島県生まれ。徳島県立徳島商業高で、全国高校サッカー選手権大会徳島県大会で3年間連続で決勝戦進出。Jリーグからのオファーを断り、福岡大学へ進学しました。卒業後に京都パープルサンガへ入団。2001年には、年間で30ゴールを決め、日本人ゴールランキング1位に。2005~2006年にはセレッソ大阪や浦和レッズに期限付き移籍。その後も移籍し続け、2013年のシーズン終了後、契約満了で退団。2015年に現役を引退して、カターレ富山強化部長に就任しました。

芸能人

橋本志穂さん

1967年、福岡県生まれ。小学校から陸上選手として活躍。筑紫女学園高等学校から福岡大学体育学部へ進学し、大学では体育教師の資格を取得。大学時代にNHKでニュースキャスターを務めました。卒業後、福岡放送に報道記者として入社し、アナウンサーになっています。ガダルカナル・タカさんと番組での共演をきっかけに交際を開始して、1994年に結婚。福岡放送を寿退社しています。以後、フリーアナウンサー、タレントとなって多方面で活躍しています。

博多華丸・大吉

吉本興業の漫才コンビ。ともに福岡大学の落語研究会に所属していました。1990年にコンビを結成してデビュー。デビュー翌年から「どっちもどっち博多っ子倶楽部」(TVQ九州放送)にレギュラー出演。1999年ころから「爆笑オンエアバトル」に出演して、13勝4敗でゴールドバトラーに認定されるなど活躍。2005年に東京進出しました。2014年には「THE MANZAI」で優勝を果たしています。2016年には結成25周年を迎え、多方面で活躍しています。

桂梅團治さん

1957年、岡山県生まれ。岡山県立玉島高等学校から福岡大学法学部に進みました。1980年に、3代目桂春團治に入門、春秋(はるあき)という高座名でデビュー。1997年から独演会「梅満会」を開催しています。上方落語協会会員、同協会誌「んなあほな」編集員を務めています。鉄道ファンとしても有名で、テーマを生かした新作落語「憧れの蒸気機関車」「鉄道親子」「切符」なども人気を誇っています。

安部敏恵さん

1980年、山口県出身。山口県立厚狭高等学校から福岡大学に進み、卒業後は航空会社に勤務しました。退社後に、タレントユニオンと所属契約を結びます。2006年から四国放送に契約アナウンサーとして派遣されましたが、2008年に契約も終了します。2009年にNHK北九州放送局に入社が決まり、夕方のニュース番組を担当しています。デジタル放送の導入に伴い、アナログの廃局まで北九州地区の「全権大使」として活動しました。2013年に、北九州局を退職して、RKBミューズへ移籍しています。