京都大学の著名な卒業生12名を紹介!京都大学のこれまでの歴史も - cocoiro career (ココイロ・キャリア) - Page 2

スポーツ選手

田中英祐さん

1992年兵庫県生まれ。プロ野球選手。小学校4年生野球を始め、白陵高校へ入学。1年生の秋からエースとして活躍。京都大学工学部へ合格。硬式野球部へ入部。リーグ戦では、3年性で0勝4敗ながら、通算68イニングを投げて、防御率1.06を記録し、投手部門でベストナインに選ばれました。2014年、千葉ロッテマリーンズに入団。しかし、一軍では2試合連続で敗戦投手となり、二軍行き。2017年までフォーム再生や体力強化に努めるも、戦力外通告を受けました。

その後、アメリカへの短期留学後、三井物産に正式に入社を決め、ビジネスマンとして活躍しています。

松井聰さん

1915年、福井県生まれ。オリンピック選手。福井県福井市に生まれ、成城高校に通い、京都帝国大学経済学部へ進学。高校までサッカー選手でしたが、16歳でバスケを始めます。3年生の秋に、日本代表選手へ選出されました。京都大学在学中に、バスケットボール部に所属。大学3年生の1936年にベルリンオリンピックに代表選手として出場を果たしました。

大学卒業後は、神戸学士クラブに所属。結局、高校、大学、社会人、すべてで全国制覇を経験しました。現役を引退してからは日本バスケットボール協会理事や副会長を務め、1979年の夏季ユニバーシアードの団長、日本オリンピック委員会などを歴任しています。

平生三郎さん

1911年、兵庫県生まれの元ラグビー日本代表選手。1928年、東西学生ラグビーフットボール対校王座決定戦で優勝。1932年のカナダ代表来日試合で2試合とも勝利しました。その後呉羽紡績に入社して、初の海外進出工場も実現させましたが、会社の経営不振により東洋紡に吸収合併されました。東洋紡績の副社長も務めています。1973年、東洋紡ブラジルへの出張の帰路、62歳で亡くなった際には、ブラジルのエルサルバドルで彼の貢献を称えた「サブロー・ヒラオ公園」が建設されたそうです。

研究者

湯川秀樹さん

1907年、京都府生まれ。理論物理学者。京都大学・大阪大学名誉教授、京都市名誉市民。1929年に京都帝国大学物理学部を卒業。1932年には、同大学の講師を務めるようになります。1933年には、大阪大学大学講師も兼任しています。

原子核内部で、陽子や中性子を結合させる、相互作用の媒介となる「中間子」の存在を突き止めようと研究を進めました。1947年に、イギリスの物理学者が宇宙船の中から「パイ中間子」を発見したため、理論の正しさが証明されることとなり、日本人初となるノーベル賞を1949年に受賞しました。

森信三さん

1896年、愛知県生まれの教育者、哲学者。1920年に広島高等師範学校英語科へ入学。1923年に京都帝国大学哲学へ入学して、天王寺師範学校(現・大阪教育大学)の専攻科講師になります。大戦後、1947年に個人雑誌「開顕」を創刊。1953年に、神戸大学教育学部教授へ就任。1965年には、神戸海星女子学院大学教授へ就任しました。「修身教授録」「哲学叙説」「恩の形状上学」などの著書があります。「人生二度なし」「真理は現実のただ中にあり」といった言葉を残しています。

高橋智隆さん

1975年、滋賀県生まれ。ロボットクリエイター。株式会社ロボ・ガレージの社長、東京大学先端科学研究センター特認准教授、大阪電気通信大学情報学部客員教授です。立命館高等学校卒業後、立命館大学産業社会学部へ入学、1年間オーストラリアとアメリカに留学。そこから予備校に通って、京都大学工学部へ再入学しました。

2003年にはロボ・ガレージを創業しました。2004年にポピュラーサイエンス誌で、「未来を変える33人」の1人に選ばれました。ロボットでのギネス世界記録を3つ保持しています。ロボットクリエイターとして、ロボットの研究、設計、デザイン、製作を手がけています。テレビ番組にも多く出演しています。

京都大学の歴史

明治政府は、1869年に「理化学校」を大阪に開設します。これが京都大学の源流です。合併を繰り返しながら、1897年に西園寺公望の提案で、京都帝国大学として発足しました。大戦後、1946年からは女子の入学も認められるようになります。1949年に第三高等学校を統合して新制大学となりました。1992年には、大学院大学への移行も行われました。