教えて!映画監督になるにはどうするの? - cocoiro career (ココイロ・キャリア) - Page 2

皆はどうやって映画監督になったの?

映画監督になるためには必要な資格もありません。また、映画監督になるために決まった道筋もありません。それでは、今、世間で活躍する映画監督はどうやって映画監督になったのか見ていきましょう。

助監督から映画監督になった人

「世界の中心で、愛をさけぶ」や「GO」のメガホンをとった行定勲監督は助監督から経験を積み、映画監督になりました。制作会社に入社した後、テレビドラマや映画の助監督として経験を積み、1997年に「OPEN HOUSE」で映画監督としてデビューしました。

映像関連業界から映画監督になった人

舞台やテレビ、または芸能人など映像関係の仕事から映画監督になった人もいます。

舞台の世界から映画監督になった人

「THE 有頂天ホテル」などコメディカルな映画で有名な三谷幸喜監督はもともと舞台の世界にいました。1983年に劇団「東京サンシャインボーイズ」の旗揚げに成功した後は、放送作家としてテレビの世界でも活躍をし、1997年に『ラヂオの時間』で映画監督としてデビューしています。

芸能人から映画監督になった人

「座頭市」、「アウトレイジ」、「ソナチネ」など数々の映画作品を生み出し、国際的にも高く評価されている北野武監督は、芸名・ビートたけしとしてお笑い界のトップを走るスターでした。1989年に「その男、凶暴につき」で映画監督としてデビューを飾り、1997年に発表した「HANA-BI」ではヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得するという偉業も成し遂げています。

テレビから映画監督になった人

「桐島、部活やめるってよ」、「紙の月」の監督を務めた吉田大八監督は広告業界の第一線で活躍をしていました。CMディレクターとしてさまざまな作品を手掛けたのち、2007年に発表した「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で映画監督としてデビューしています。

異業種から映画監督になった人

会社員から映画監督になったという人もます。それが、「リアル鬼ごっこ」を撮影した柴田一成監督。柴田監督は映画監督でると同時に映画製作元でもあるジェネオン エンタテインメントの社員という一面も持っています。柴田監督はもともと会社員でしたが、映画企画をキングレコードに持ち込み、映画「もうひとりいる」という作品の映画監督としてデビューしました。