8つの発達課題を日本の老年期という観点から捉え直す
広島大学で行われた研究は「各年齢段階の発達課題は一生の間続く」というエリクソンの主張に着目しました。帝政時代のドイツ出身でアメリカ人になったエリクソンと現代の日本人の間には差異があります。それらを踏まえ、8つの発達課題を現代日本の観点から捉え直しています。本文中の「○○ 対 ××」はどれも「成功 対 失敗」の対になっています。
感謝対不信感
社会、世間、親的人物を温かいと感じ、それが常にあると感じていることと、周囲を悪意に満ちていると感じ、慎重にならざるを得ないと捉えることの対立が認められた。以上より第I段階の心理社会的課題は感謝 対 不信感であると考えられる。
(引用元:老年期における心理社会的課題の特質 : Eriksonによる精神分析的個体発達分化の図式第VIII段階の再検討 | 広島大学 学術情報リポジトリ 274ページ)
エリクソンにおける0〜2歳の発達課題は「基本的信頼 対 不信」です。「世界を信じることができるか」というのが根本的な問いです。
一方、現代日本の高齢者にこの発達課題を当てはめると「感謝 対 不信感」となりました。エリクソンの「基本的信頼 対 不信」にはアメリカ社会、特にキリスト教の影響が色濃く表れています。そのため、平均的な日本社会に生きる0〜2歳児に与えられる課題とは異なるのではないかという意見です。
内的・外的自律対自律の放棄
エリクソンにおける2〜4歳の発達課題は「自律性対恥、疑惑」です。「私は私でいていいのか」が問いです。
一方、日本の高齢者という観点から見ると、アメリカで求められる自立性と日本で求められる自立性に差が見られました。自立できないことを恥と見るのではなく、単純に諦めてしまう、放棄してしまうのが日本の傾向であると考えられました。
そのため現代日本の発達課題は「内的・外的自律 対 自律の放棄」だとしています。
挑戦対目的の喪失
エリクソンにおける4〜5歳の発達課題は「積極性 対 罪悪感」です。「動き、移動し、行為を行っていいのか」が問いです。
エリクソンが発達課題を提唱した1980年代のアメリカでは、高齢者が自立を失うことは生死に直結すると考えられていたと、先出の広島大学の研究では指摘しています。一方、現代の日本では医療や介護保険など制度面がまだ充実しているため、エリクソンの前提ほどに自立は重要なことではありません。
そのため現代日本では「挑戦 対 目的の喪失」に置き換えられます。
喜び対劣等感
エリクソンにおける5〜12歳の発達課題は「勤勉性 対 劣等感」です。「人々とものの存在する世界で自己成就できるか」が問いです。
これを現代日本では「喜び 対 劣等感」に置き換えられるとしました。これも主には高齢者に求められる自立の度合いによります。勤勉であることより、自分が積極的に動くことによって得られる喜びのほうを重視するのが現代日本社会であると捉えました。
確固とした自己対自己の揺らぎ
エリクソンにおける13〜19歳の発達課題は「同一性 対 同一性の拡散」です。「私は誰か。誰でいられるか」というアイデンティティにまつわる問いが立てられます。
これを現代日本の高齢者に置き換えると「確固とした自己 対 自己の揺らぎ」となります。
職業選択や結婚といった人生における重要な決定を行う時期に、選択の余地のない社会で過ごしたため、本当に求めた自分らしさではなく、そうならざるを得なかった自分を確立していることが示唆される。
(引用元:老年期における心理社会的課題の特質 : Eriksonによる精神分析的個体発達分化の図式第VIII段階の再検討 | 広島大学 学術情報リポジトリ 273ページ)
現代日本の高齢者が生きてきた戦中〜戦後は非常に特殊で厳しい環境でした。時代特有の問題により発達課題が変化している可能性が指摘されています。
揺るぎない関係対途絶え
エリクソンにおける20〜39歳の発達課題は「親密性 対 孤独」です。「愛することができるか」という問いが立てられます。
一方日本の高齢者の発達課題は「揺るぎない関係 対 途絶え」です。アメリカも日本も現代では核家族化が進んでいます。ただし、アメリカは高齢になった親と同居するケースが少ない一方、日本では家族による介護が一般的である点が異なることが指摘されています。また、介護で子供に面倒をかけたくないという高齢者自身の気持ちも、発達課題に影響を与えていると指摘されています。
祖父母的世代性対隔たり・逆転の拒否
エリクソンにおける40〜64歳の発達課題は「生殖 対 自己吸収」です。「自分の人生を当てにできるか」が問いです。
この時期は自分の子供にまた子供が生まれ、家族の中での立場や役割分担が変化していきます。世話する立場から世話される立場へと変わっていく時期でもあります。
一方、現代日本の発達課題は「祖父母的世代性 対 隔たり・逆転の拒否」だとしました。エリクソンの概念と同様に祖父母世代の役割を引き受けていく一方、その立場を拒否する傾向も見られたためです。
統合対否認・後悔
これまで解説してきた老年期の発達課題です。エリクソンは「統合 対 絶望」としました。
これを「統合 対 否認・後悔」に置き換えたのは、「死については考えないようにしている」といった死を否定する態度や、人生を後悔する態度の方が絶望や恐怖よりも強く見られたためです。否定的な感情はあるものの、その感情の持ち方は置かれた社会によって変わることが示唆されています。
まとめ
エリクソンの提唱した老年期の発達課題と、現代日本における捉え方について解説しました。広島大学の研究を見ると現代日本社会の高齢者特有の特徴によって「発達課題」は変化しているのが分かります。発達課題は人間に固有なものとして捉えるのではなく、人間が置かれた社会の中での人間のありようとして捉える方が有益であることが示唆されていると言えるでしょう。
参考
新体系 看護学全書 老年看護学 1 老年看護学概論・老年保健
老年期の自律性研究の課題と展望:自律的動機づけに着目した研究の方向性の提案 | 発達心理学研究
老年期の社会的活動における動機づけとwell-being(生きがい感)の関連—自律性の観点から— | 教育心理学研究
Eriksonによる自我の統合の先にあるもの : 後期高齢者における老いの意味とは | 千里金蘭大学学術リポジトリ