甲子園の歴史が知りたい!名前の由来やスタジアムツアーについてご紹介

私たちが当たり前のように使っている「甲子園」という言葉ですが、そもそもどうして甲子園と呼ばれるようになったのか、名前の由来や歴史について疑問に思った方もいるのではないでしょうか。毎年夏になると甲子園球場で開催される、高校球児たちの夢の舞台「甲子園」。今回は、そんな甲子園の名前の由来や歴史について詳しくご紹介します。

甲子園の歴史と由来について

2018年は記念すべき第100回大会となり、大いに盛り上がりを見せた甲子園。夏のイベントとして知られる野球大会ですが、正式名称は「全国高等学校野球選手権大会」です。1915年に第1回目大会が開催され、規模は小さかったものの、100年の間にさまざまな出来事がありました。まずは、甲子園の歴史や名前の由来、甲子園球場にまつわるトリビアについてご紹介します。

甲子園が初めて開催されたのは?

甲子園の記念すべき第1回大会は1915年、今から100年以上前に開催された「全国中等学校優勝野球大会」です。そのときにはまだ現在の甲子園球場は完成しておらず、大阪の豊中グラウンドが会場となりました。10校が参加して、観客と試合場の境目に縄を張り巡らした状態で行われたといいます。

現在の甲子園球場で開催されるようになったのは、大正13年の第10回大会以降であり、それまでは兵庫県の鳴尾球場・愛知県の山本球場などで開催されていました。

名前の由来

高校球児を一目見ようと、大会発足当時から人気の高かった野球大会ですが、押し寄せる大観衆に対応するべく阪神電鉄が新球場建設に名乗りを上げ、完成したのが甲子園球場です。球場の名前の由来は、大正13年の干支「甲子」から付けられたものだといわれています。

甲子園球場が完成したのは、大正13年8月1日です。この年は、奇しくも、十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う年でした。縁起のよいこの年にちなんで、この付近一帯を「甲子園」と、また野球場を「甲子園球場(当時は大運動場)」と名付けました。

(引用元:甲子園あれこれ | 球場紹介・サービスガイド | 阪神甲子園球場

甲子園の名前は、甲子園球場が完成した年の干支にちなんだものであり、周辺の地名にも「甲子」の文字が使われているといいます。

建物のツタはいつから生えている?

甲子園球場といえば、名物の「ツタ」があります。歴史を感じさせるこのツタは、球場が完成した年から壁面を飾る目的で植栽されたといいます。しかし過去には、球場のリニューアル工事に伴い、伐採されたこともあったようです。

株数約430本、葉の面積はタタミ8000畳分とも言われたツタは、平成18年の秋から、球場のリニューアル工事に伴い一旦伐採されましたが、再植樹にあたり、平成12年夏に20世紀最後の選手権大会を記念して高野連加盟校に贈呈されていた甲子園のツタの種子が「里帰り」として戻ってきました。平成21年3月には里帰りしたツタと養生地で育成されたツタの再植樹が完了しました。

(引用元:甲子園あれこれ | 球場紹介・サービスガイド | 阪神甲子園球場

「アルプススタンド」はある漫画家の言葉から?

アルプススタンドとは、甲子園球場の東スタンドと西スタンドを指す言葉です。名前の由来は昭和4年にまでさかのぼり、ある漫画家の言葉が元になっているといいます。

昭和4年夏に増設されたアルプススタンドは、夏の高校野球の時、白いシャツのファンで超満員。漫画家の岡本一平さんが「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と朝日新聞に漫画を描いて以来、「アルプススタンド」と呼ばれるようになりました。

(引用元:甲子園あれこれ | 球場紹介・サービスガイド | 阪神甲子園球場

岡本一平は大正から昭和にかけての人気漫画家で、芸術家として名高い岡本太郎の父親としても知られています。人気漫画家の一言により、今では当たり前のように呼ばれる「アルプススタンド」という名称が生まれました。

甲子園の名物「土」を最初に持ち返った人物とは?

選手たちが試合後に土を袋に詰める光景は今では見慣れたものですが、そもそもいつから甲子園の土を持ち返る習慣が生まれたのでしょうか。最初に土を持ち返った球児には諸説ありますが、中でも有名なのが、1949年の第31回大会で活躍した倉敷工のエース・福嶋一雄選手、そして1937年の第23回大会で準優勝した熊本工の川上哲治選手の説です。

2015年3月17日付の中日スポーツの紙面のよると、巨人で選手や監督として一時代を築いた川上選手は、ある書籍において以下の言葉を残してるといいます。

 『不滅の高校野球 上』(松尾俊治著、ベースボール・マガジン社)には「私は記念に甲子園の土を袋に入れて持ち帰り、熊本工のマウンドにまいた」という川上自身の言葉がある。第1号かどうかは別として、中京商に敗れた川上が土を持ち帰ったことは間違いない。

(引用元:「甲子園の土」物語:KOSHIEN新世紀|中日スポーツ(CHUNICHI Web)

甲子園球場の土を持ち返ることは習慣化されていますが、その歴史を辿っていくと、過去の選手の栄光や涙が隠されているようです。

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