子供が小学校に入学すると、授業で鉛筆を使い始めます。そんな誰しもが子供のころから使っている鉛筆の歴史について考えたことはありますか? 実は、鉛筆には深くて長い歴史があります。鉛筆が誕生した年代や、日本で鉛筆が普及した経緯について理解することで、普段使っている鉛筆に愛着を持つことができるのではないでしょうか。今回は、鉛筆の歴史や特徴、トリビアについてご紹介します。
もくじ
鉛筆の歴史について
そもそも鉛筆の歴史はどれくらい古いのでしょうか。普段何気なく使っている鉛筆ですが、鉛筆は細長くした鉛と錫(すず)を使った合金に、木を巻きつけたものが始まりといわれています。鉛筆は原型から変化を遂げていきますが、今も昔も、世界で作られている鉛筆の製造方法はほとんど変わっていないといわれています。
では、鉛筆の歴史をより詳しく見ていくことにしましょう。
1560年代にイギリスで「黒鉛」が発見される
そもそも、イギリスのある山で黒鉛が発見されたことから、鉛筆の原型が誕生したといわれています。
えんぴつのはじまりは1564年。エリザベス王朝時代のイギリスにまでさかのぼります。当時イギリスのボローデル山で、黒いかたまりのようなものが見つかりました。試しに、その黒いもので文字を書いてみたところ、はっきりとした文字を紙に残せることがわかったのです。
この黒いかたまりの正体こそ、えんぴつの芯(しん)の原料となる「黒鉛(こくえん)」というものでした。
当初は、細長く切った黒鉛(こくえん)そのものを手に持って書いていましたが、手が汚れて使いづらかったため、よく年の1565年ごろには、木にはさんだり、ひもでまいたりして使うようになりました。これが現在の、えんぴつのもとになります。
(引用元:えんぴつの歴史|トンボKIDS)
イギリスのボローデル山で鉛筆の芯の材料とされる黒鉛が発見され、イギリスだけでなく近隣の国でも黒鉛が使われるようになります。しかし、その結果として、約200年後の17世紀にはボローデル山の黒鉛を使い切ってしまったそうです。そこで、フランスの革命家・ナポレオンの命令により、他の山で採れる黒鉛を集め、粘土と混ぜあわせるなどして研究を重ねた結果、鉛筆の芯の濃さを変えられることが判明し、鉛筆が作られていくことになります。
1700年代に鉛筆の芯のもとが作られる
ナポレオンの命令で黒鉛の塊を作ろうとしたのは、ドイツ人のカスパー・ファーバーさんと、フランス人のニコラス・コンテさんでした。黒鉛のかけらや粉を細かくし、粘土で混ぜて焼き固めることで、現在の鉛筆の芯が完成しました。
1760年にカスパー・ファーバーというドイツ人が黒鉛(こくえん)の粉を硫黄(いおう)などでかためた芯(しん)を作りました。
1795年にニコラス・ジャック・コンテというフランス人が硫黄(いおう)の代わりに粘土(ねんど)に黒鉛(こくえん)をまぜ、これを焼きかためて芯(しん)を作り、さらに混合の比率を変えれば芯(しん)の硬度(こうど)が変化することを発見しました。現在でも基本的には、このコンテの方法でえんぴつの芯(しん)は作られています。
(引用元:えんぴつの歴史|三菱鉛筆株式会社)
19世紀には世界的に知られるようになる
17世紀には鉛筆の芯が作られるようになりましたが、19世紀になると、アメリカの鉛筆会社が一度に6本の鉛筆を作ることに成功します。黒鉛を現在の鉛筆の基礎となる鉛筆の芯に加工できたことで、人々が簡単に鉛筆を使うことができるようになり、世界的に鉛筆が家庭へと普及していきます。
徳川家康の遺品に鉛筆が!?
日本で最初に鉛筆を使ったとされる人物は、なんとあの有名な武将・徳川家康という説があります。
日本で最初にえんぴつを使った人物は、徳川家康(とくがわいえやす)だといわれています。今は、久能山(くのうざん)の東照宮(とうしょうぐう)という神社に保存(ほぞん)されていますが、どこでつくられ、どのようにして家康(いえやす)の元に届いたのかはわかっていません。
(引用元:えんぴつの歴史|トンボKIDS)
静岡県にある久能山東照宮博物館では、徳川家康の遺品として、6cmほどの1本の鉛筆が展示されています。現在日本に残っている一番古い鉛筆といわれていますが、記録が残っていないことから、どのように日本に渡ったかは不明だそうです。しかし、一説によると、当時日本の属領であった諸外国から献上されたものという見方があるそうです。
日本では明治維新後に本格的に使われるようになる
日本に鉛筆が本格的に使われるようになったのは、1873年にウィーンで開催された万国博覧会がきっかけ。伝習生として参加していた日本人が鉛筆の製造技術を学び、日本に伝えたことが始まりといわれています。西洋文化の影響を強く受けた明治時代の文明開化は、日本での鉛筆の普及に大きく影響したといわれています。
日本での最初の鉛筆工場は?
現在ではさまざまな企業が鉛筆を作っていますが、日本で初めて鉛筆が作られた工場は、三菱鉛筆株式会社の鉛筆工場だそうです。
鉛筆製造(えんぴつせいぞう)を工業として始めたのは眞崎仁六(まさきにろく)です。
明治20年のことでした。眞崎仁六(まさきにろく)は、東京市四谷区内藤新宿1番地(現在の新宿区内藤町1番地)に「眞崎鉛筆製造所」(まさきえんぴつせいぞうじょ)をつくりました。水車を動力とする工場を建て、えんぴつをつくって売りはじめました。
これが「三菱鉛筆株式会社」の始まりです。
(引用元:えんぴつの歴史|三菱鉛筆株式会社)
鉛筆の特徴について
鉛筆は昔も今も同じ製法で作られていると前述しましたが、鉛筆の気になる特徴について紹介します。
鉛が使われているって本当?
鉛筆というと、字の通り、鉛を使っているのでは? と考える方もいるかもしれませんが、実は鉛筆に鉛は使われていません。
鉛筆は「黒鉛」と「粘土」を混ぜて作っています。「黒鉛」とは炭素からなる鉱物で「鉛筆」の「鉛」の文字と同じように鉛は使っていません。
(引用元:鉛筆には鉛を使っているのか|三菱鉛筆株式会社)
鉛色をしている見た目から「黒鉛」 と呼ばれていますが、炭素からできていることため、 鉛ではありません。鉛は中毒性の強いものというイメージを持つ方もいるかもしれませんが、鉛筆で使われている黒鉛は鉛とは違うことを覚えておきましょう。
消しゴムで消せる理由
鉛筆というと、消しゴムで文字を簡単に消せることはご存知のとおりですが、そもそもなぜなのでしょうか。これは、紙に残っている黒鉛の粒が、消しゴムの表面に付きやすい特性を持っているということと、紙よりも消しゴムの方が黒鉛が付着しやすいということが理由として挙げられます。メモしてもすぐに消せることができるのは、こういった理由があるからです。
鉛筆は昔も今も人々に愛されている!
昔も今も、私たちは鉛筆を使っています。鉛筆を使って文字を書くことは、子供の学校生活においても、大切なプロセスです。鉛筆の歴史は古く、15世紀から人々は鉛筆によって文字を書きながら、文明を開化させてきました。鉛筆の歴史を知ることで、鉛筆に対する人々の思いも理解することができます。今回紹介した内容を、ぜひ子供にも聞かせてみてください。
参考
えんぴつの歴史|トンボKIDS
えんぴつの歴史|三菱鉛筆株式会社
鉛筆には鉛を使っているのか|三菱鉛筆株式会社
鉛筆の始まり|鉛筆お役立ち情報