横浜国立大学大学の著名な卒業生12名を紹介!横浜国立大学の歴史も - cocoiro career (ココイロ・キャリア)

横浜国立大学の卒業生には各界で活躍する著名人が多くいます。今回はその歴史も含め、著名な卒業生12名をご紹介します。

政財界人

中村雅哉

1925年、東京都生まれ。バンダイナムコエンターテインメント創業者。横浜工業専門学校(現在の横浜国立大学)造船学科卒業。1955年に、有限会社中村製作所を設立して、デパートの屋上遊園用具の製造・管理を行いました。1977年に社名をナムコに変更。1974年にアリタジャパンを買収して、アーケードゲーム事業へ進出しました。『パックマン』は、世界にも人気が広まるヒットとなりました。一度社長職を離れるも、2002年まで社長職を務めました。2005年、バンダイナムコホールディングス最高顧問就任。2010年には、「国際ビデオゲームの殿堂」(IVGHOF)の土台を築いた先駆者5名の1人として「パックマン」と一緒に選出されました。

辻慎吾

1960年、広島県生まれ。横浜国立大学大学院工学研究科で、建築や都市計画を専攻。1985年に森ビルに入社。2001年からタウンマネジメント準備室担当部長。2009年から副社長として、新設の経営企画室長を務めました。2011年、森ビル代表取締役社長へ就任。虎ノ門ヒルズプロジェクトなどを進め、2018年に建築事業関係功労者等国土交通大臣表彰を受賞しました。

馬淵澄夫

1960年、奈良県生まれ。衆議院議員。東京都立上野高等学校卒業後、横浜国立大学工学部土木学科卒業。三井建設を経て、コンピューター関連商品製造販売会社へ入社、取締役へ就任。2003年、第43回衆議院議員総選挙で初当選。2009年、鳩山由紀夫内閣で国土交通副大臣に任命されました。2010年の菅直人内閣においても、国土交通副大臣を務めます。2011年、東日本大震災の発生を受け、内閣総理大臣補佐官への任命を受け、原発事故の対策を行います。国会議員、政治家として初めて、高線量下の原発建屋へ足を踏み入れました。同年6月には、経済産業副大臣への就任を促されましたが拒否して、補佐官を辞任。2018年12月、くり上げにより大阪12区で当選。

芸能人

稲葉浩志

1964年、岡山県出身。ミュージシャン。ロックユニット「B’z」のメンバー。横浜国立大学教育学部へ入学。在学中、音楽雑誌の『ロッキンf』を読んでいた際にボーカルスクールのスクール生募集を見つけ、応募して通い始めました。入所からしばらくして稲葉をデビューするためのプロジェクトが立ちあげられ、稲葉を中心にバンドを結成。しかし、ライブ活動を続けられず、何度ものメンバー変更により自然消滅しました。メジャーレーベルのオーディションも2つ受けていましたが、どちらも落選。1988年、松本孝弘が稲葉のデモテープを聞いたことをきっかけに「B’z」を結成してデビューを果たしました。

眞鍋かをり

1980年、愛媛県生まれ。マルチタレント。横浜国立大学教育人間学部へ入学。大学入学前に渋谷の吉野家を出た際に、スカウトを受けました。1999年、雑誌『ホットドッグ・プレス』のドリームガールグランプリを受賞。2001年、映画「ウォーターボーイズ」でスクリーンデビューを果たしました。2005年、ブログをまとめた『眞鍋かをりのココだけの話』(インフォバーン刊)を発売、20万部以上の大ベストセラーに。2007年からテレビ東京の「メガスポ!」でニュースキャスターに挑戦。2012年に元「THE YELLOW MONKEY」のヴォーカル、吉井和哉との交際を報道され、2015年9月に婚姻届を提出、同年10月に第1子を出産しました。

福田萌

タレント。夫は、お笑い芸人オリエンタルラジオの中田敦彦。2009年に横浜国立大学経営学部国際経営学科卒業。高校時代に、オーストラリアへ1年間の留学経験を持っています。横浜国立大学大学ではミスキャンパス「ミス横浜国大」に選出され、「ミスオブキャンパスクイーンコンテスト」の審査員特別賞を受賞しました。2007年、在学中に芸能活動を開始して、2007年から日本テレビのバラエティ番組「ラジかるッ」で、お天気お姉さん兼アシスタントを担当。2009年に連続ドラマ「トライアングル」へ女優としてレギュラー出演しました。2012年に入籍を発表。2013年に第1子を、2016年に第2子を出産しました。