4万人の中の自由〜全てが自分次第の早稲田大学国際教養学部〜 - cocoiro career (ココイロ・キャリア)

入学する前の大学のイメージは、「自由」「広い世界」。
けれど、本当にそうだったのでしょうか?

大学は「自由すぎる」

正直、大学1年だったあの日が6年も前になろうとしている私ですが……、よく覚えているのが、「自由への不安」でした。

校則の厳しい環境から自由な大学へ

私がいたのは比較的小規模な女子校でした。落ち着いた環境で、伝統ある学校でした。それも影響して、校則はかなり厳しく、制服姿で何か悪さしようものなら、(と言っても道に広がって歩くくらいです。喧嘩なんかしません。。。)次の日にはなぜか学校に伝わっているなんていうこともざらでした。私は、入学当初、早速下校のマナーで厳しく指導され、「ああ、神様は見ているんだな」と幼心に確信した記憶があります。
加えて、周りの同級生は親が医者や官僚だったりするような「いい家の子」が多く、ほとんどが大学進学を当たり前のものと思って、過ごしていました。その多くは内部進学で、女子大に行きました。

そんな厳しい小さな世界にいたので、マンモス大学の早稲田に入った瞬間、その自由さに驚きました。正直、高校生が帰り道に買い食いしているのですら、「自由だな。うらやましい」と思うレベルだったので、早稲田大学の自由さはショック療法並みの効果がありました。

対応はそこまで手厚くない?

ただ、「自由への不安」を感じ始めるのはすぐでした。
こう書くと哲学チックに聞こえるかもしれないですが……。(ちなみに、19世紀の哲学者・キェルケゴールは「不安は自由のめまい」と言ってるそうです。)

他の子の話を聞いたりすると、入学後に丁寧なオリエンテーションがあったり、論文の書き方も手取り足取りだったり、不備があったら学校の事務所から電話があったりする一方で、早稲田は入学後1ヶ月でクラスで行方不明になっても、きっと誰も気にしてくれないくらいの「自由」があったのです。授業の履修も勝手に1人で決められるし、相談相手になるような大人もいないし、私の学部はクラスなどもなかったので根無し草のような状況でした。「クラスに行こうが、サークルに居続けようが、犯罪をしない限り、我関せず」という大学に来たのだと感じ始めました。